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トッド・ラングレンはアーティストとして実に多彩な音楽的側面を持っている。ワーカホリックの彼は、67年にカーソン・ヴァン・オステンと共にアメリカ初のイギリスびいきバンド、ナズを結成したが、69年にナズでは不可能だったサウンドを探求するためにバンドを脱退。71年にラントというバンドと一緒にレコーディングしたシングル「ウィ・ガッタ・ゲット・ユー・ア・ウーマン」がトップ20入りするヒットとなった。トッド・ラングレンは70年代から80年代にかけて1年に2枚のペースでアルバムをソロとして、あるいはバンド、ユートピアと共にリリースし、その傍らミートローフやニューヨーク・ドールズ、XTCやバッドフィンガー、グランド・ファンク・レイルロードそしてザ・バンドなど、数々のアーティストのアルバムをプロデュースし成功を収めた。72年、2枚組アルバム『サムシング・エニシング?(ハロー・イッツ・ミー)』をリリース。これはパワー・ポップへの情熱を高らかに宣言した作品で、トッド・ラングレンは全楽器を演奏し、全てのヴォーカルのパートも自分で歌い、さらにはアルバム全体をプロデュースし、批評家にも絶賛された。74年リリースの『トッド』で彼は長篇のプログレッシヴ・ロックのインストゥルメンタル曲に挑戦し、その後の進むべき音楽の方向性を決定づけた。プログレッシヴ・ロックへと傾倒した時期も忠誠なカルト・ファンたちは彼を見捨てなかった。トッド・ラングレンは現在でもレコーディングを行っており、インターネットを通じて音楽を配信することを積極的に支持しているほか、自伝を執筆中だ。

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