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戦前に古典的な録音を残したにもかかわらず消息不明になり、60年代のブルース再発見ブームによって生存が確認された"生きた化石"的ブルース・マン。日本にも2度ほど来日し、73年にはオリコン・アルバム・チャートにランク・インしたという信じられないような記録も残っている。
エステスが生まれ育ったのは、メンフィスの近郊にあるブラウンズヴィルという街である。この地を拠点にブルース・サークルを形成し、29年から41年までに50曲近い吹き込みを行った。カン高い声と自身が弾くいなたいギター、そして相棒であるハーピスト、ハミー・ニクソンとともに録られたこの時期の作品は、自叙伝的な内容も相まって悲痛の固まりのようなブルースばかり。唄うというより泣くといった表現があてはまるエステスの歌は、心がササクレ立つよう。
その後は20年近く姿を消してしまうが(死亡説も流れていた)前述した経緯により、60年代よりシーンに復帰。戦前と何ら変わらないスタイルのブルースを聴かせた。また70年代にはライ・クーダーの作品に参加したり、日本の憂歌団と共演したり(後にライヴ盤として発表)もしている。

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