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Malcolm McLarenの情報

(マルコム・マクラーレン)

マルコム・マクラーレンと音楽シーンの関わりは、71年にテディボーイ・ファッションのブティック(『LET IT ROCK』)を、ヴィヴィアン・ウエストウッドと共にオープンしたことから始まる。その後74〜75年にかけオカマ化粧のグラム・バンド、ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めるが解雇という憂き目に。やがて、『SEDITIONARIES』と名を変えた前述のブティックの宣伝のため、ロック・グループ結成を思いつく。そう、それがあのセックス・ピストルズ——つまり、パンク生みの親はマルコムなのである。ピストルズの過激なロック・スピリッツでイギリス中を恐怖のどん底に叩き落としたマルコムは、敏腕(悪徳)マネージャーとしての名声を獲得。ピストルズが短命で去ったあとも、ボロ(ホーボー)・ファッション+ジャングル・ビートのバウ・ワウ・ワウ、パイレーツ・ルック+海賊ダンス・ビートのアダム・アンド・ジ・アンツらを送り出し、それらどれもで成功を収めていく。
そして83年、マルコムは次なるプロジェクトとして自身のソロ・デビュー・アルバム『ダック・ロック』を発表。当時はまだ、黒人だけの音楽とされていたヒップホップ/スクラッチをふんだんに導入し、さらにワールド・ミュージックのエッセンスをも加えたこのアルバムは、今日のクラブ・ミュージックの先駆けと言える斬新な作品に仕上がった。また、ウォール・ペインティング風なグラフィティ/キース・ヘリングのポップ・アート/ブレイク・ダンス/ダブル・ダッチ(アクロバティックな縄跳び)など、N.Y.のストリート・カルチャーをジャケットやプロモーション・ビデオに絡め、流行に敏感な人たちのアンテナをビンビンと刺激した。また、このころリリースした楽曲はNasやFoxy BrownらのクルーThe FirmやAZ、またDev Largeなどにサンプリングされている。
その後もダンス・ミュージックにオペラ調のヴォーカルを乗せた『ファンズ』(84年)、クラシックやワルツのフレーズを引用したエレガントなハウス作品『ワルツ・ダーリン』(89年)と次々に新たな試みを打ち出し、常に注目を浴びてきたマルコム。90年代には人気サーフ・ブランド『STUSSY』のデザイナー、ショーン・ステューシーがジャケット画を手がけたごちゃ混ぜダンス・ポップ・アルバムもリリースしている。

2010年4月8日、スイスの病院で死去。享年64歳で、死因は中皮腫と呼ばれるガンだった。

制作協力:
OKMusic

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