> P.Diddy

P.Diddy

(ピー・ディディー)

ニューヨーク、ハーレム出身。東海岸を代表するヒップホップ・レーベル<BAD BOY>の設立者にして、アメリカン・ブラック・ミュージック界の最重要人物のひとり。ビギーことノトーリアス・B.I.G.やメイスやフェイス・エヴァンスを始めとする同レーベルの看板アーティストたちのプロデュースを手がけ、結果大成功を収める。特に、ビギーを一躍スターダムに押し上げた功績は、自身を確固たるプロデューサーとしての地位を築く原動となった。しかし97年、USウェッサイ最強のヒップホップ・レーベル<DEATH ROW>と<BAD BOY>の抗争が引き金となり、朋友のビギーが何者かに射殺されるというショッキングな事件が勃発。世界中のヒップホップ・ファンが胸を痛めるなか、パフ・ダディは彼へのトリビュート・ソング「アイル・ビー・ミッシング・ユー」をリリース。ポリスの代表曲「見つめていたい」を大胆にサンプリング・アレンジし、アメリカおよび全世界で大ヒットを記録した。また、パフ・ダディ&ザ・ファミリー名義でアルバム『ノー・ウェイ・アウト』を発表。ビギーへの追悼の念が如実に反映された作品で、当然のごとく爆発的セールスを記録する。サンプリングの元ネタにおける節操のなさ、そのビジネスライクなマーケティング戦略はヒップホップ・ファンの間で現在も賛否両論を呼んでおり、特に西海岸のヒップホップ・シーンでは、あまり評判が芳しくない模様だ。巨大な財力で名誉を買うことはできないのである。99年にはソロ2作目となる『フォーエヴァー』をリリース。前作のようなポリスやデヴィッド・ボウイなど元ネタありきのあからさまな戦略は若干鳴りを潜め、パブリック・エナミー、アース・ウィンド&ファイアーといったブラック・ミュージック(の大ネタ)を絶妙にサンプリング。ヒップホップ本来のあり方を踏襲したかのような仕上がりとなった。
その後、心機一転、P・ディディ(ビギーがつけたニックネームだそう)と改名。そして、P・ディディ&ザ・バッド・ボーイ・ファミリー名義でアルバム『サガ・コンティニューズ』(01年)を発表した。ここでは以前のように大胆なサンプリング・ネタ使いは見受けられず、パワフルな直球勝負のヒップホップ・サウンドを展開。それらのトラックは、なにかを吹っ切ったかのごとき、ほどよく肩の力が抜けたラップとも巧くハマり、完成度の高い楽曲群が仕上がった。また、彼の新たな門出を祝って、<BAD BOY>のアーティストを中心にゲストが多数参加。ショウケース的な意味合いでも楽しめる作品となっている。その後は、<BAD BOY>の10周年記念盤(04年)などをリリースしたものの、世間に振り撒くのはゴシップの大ネタばかりで数年が経過。牧師になっていたメイスの復帰作も大きなセールスにはならず、フェイス・エヴァンスもレーベルを離脱した。
しかし、06年に入り、キャシーやダニティ・ケイン、ヤング・ジョックといった<BAD BOY>の新顔たちが次々とブレイク。レーベル全盛期の勢いを取り戻さんとばかりの絶好のタイミングで、“稀代の名策士”ディディは5年ぶりとなるリーダー・アルバム『プレス・プレイ』を発表した。ゲストにクリスティーナ・アギレラ、ビッグ・ボーイ、シー・ロー、ジェイミー・フォックス、メアリー・J.ブライジ、キーシャ・コール、トゥイスタ、ナズ、シアラ……など眩暈がするほど豪華アーティストを招聘し、参加プロデューサー陣もリッチ・ハリソン、ネプチューンズ、ティンバランド、カニエ・ウェスト、ウィル・アイ・アム、ジャスト・ブレイズといったブラック・ミュージック業界のトレンディーなキー・パーソンを揃えた同アルバムは“ヒップホップ史上空前の超大作”とも評された。今後もこのセレブかつスーパーリッチな敏腕プロデューサーがどういう動き(ビジネス展開)を見せるのか、注目が集まっている。

制作協力:
OKMusic

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