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遠藤ミチロウ

(エンドウミチロウ)

50年生まれ、山形の左翼青年で、フォーク少年でもあった遠藤ミチロウが27歳で上京、おりしも勃興していたパンク・ムーヴメントに触発され、ザ・スターリンを結成したのは80年、30歳のときである。「世界で一番嫌われているから」という理由で、旧ソ連の専制政治家の名をバンド名にしたエピソードや、後のザ・スターリンのマスメディアを巻き込んでのセンセーショナルなメジャー展開からわかる通り、ミチロウは紆余曲折のはて、パンクという方法論をきわめて戦略的に選び取ったのであり、その表現の奥底には燃えさかる情熱や理想ではなく寒気のするようなシニシズムと虚無と冷笑がへばりついている。パンクの反逆、不平不満の爆発といった子供っぽい画一的なイメージからは無縁な、クールで文学的とも言えるポジションにあったのである。疾風怒濤のザ・スターリンの5年間は、日本のオルタナティヴ・ロックの歩みを振り返る上で、やはり画期的な季節であった。
とはいえ、ソロ活動に入ったミチロウは、しかしザ・スターリン時代のようなセンセーションもなく、音楽的にも停滞していたように思える。88年になって、定冠詞のない”スターリン”がスタートしてからも、ずっとミチロウには迷いがあったのではないか。
そしてミチロウは92年末、スターリンを解散し、再びソロに戻る。ベルリンの壁が崩れソ連が崩壊し、共産主義が破産して、スターリンというブランドをしゃぶり尽くしてゼロになったミチロウは、自らの原点とも言うべき、生ギター弾き語りによるフォーク的アプローチに回帰する。そしてギター1本を携えマネージャーもつけずたった一人で全国を行脚するうち、再びかってのような瑞々しい表現衝動を取り戻していったのである。そのひとつのピークが、01年2月のザ・スターリン再結成ライヴに於ける、ミチロウのソロ・パフォーマンスだった。大幅に改変したオリジナルの日本語詞をつけたボブ・ディランの「天国の扉」をたった一人で歌うミチロウの深く鋭い叫びは、放埒の果てに死を意識した男の慟哭に溢れ、感動的だった。かってのようなセンセーショナルな話題性は、もはや求めるべくもない。だがその表現世界は深化の一途を辿っている。まちがいなくザ・スターリン以来、この男はその長いキャリアの頂点に達しつつある。 (小野島 大)

制作協力:
OKMusic

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