>  >  >  > Sid Vicious

Sid Vicious

(シド・ヴィシャス)

ある意味でロンドン・パンクの象徴であるシド・ヴィシャス。彼は音楽というより、その鮮烈な生き様で、パンクの凝縮されたイメージを体現するアイコンとして生命を得ることになった。客とケンカして血まみれになりながらベースを弾く姿や、映画『D.O.A.』での、ヘロインでキマりまくったインタヴュー・シーンに、多くの若者はショックを受けたはずだ。
シド・ヴィシャスことジョン・サイモン・リッチーは57年5月10日、ロンドンのイースト・エンドに生まれている。15歳でオーディナリー・スクールをリタイアし、アート・スクールに通うようになり、同級生だったジョン・ライドンと知り合う。やがてジョンはセックス・ピストルズに加入、シドはスージー・スーらと共に親衛隊として、ピストルズのギグで大暴れするようになり、それと共にピストルズの評判はロンドン中に広がっていった。なお、いわゆるポゴ・ダンスはシドが最初に始めたとの説もある。
やがてEMI、A&Mとピストルズが相次ぐ契約破棄事件で揺れる中、ジョンとベーシストのグレン・マトロックの仲が悪化し、グレンが脱退、代わりにシドが加入する。シドはスージー&ザ・バンシーズの初代ドラマーであり、その後キース・レヴィン(後にジョンとPILを結成)らと共にフラワーズ・オブ・ロマンスというバンドを結成してヴォーカリストとして半年ほど活動していたが、ベーシストとしての経験はなかった。おまけにシドはガールフレンドのナンシー・スパンゲンの影響で重度のヘロイン中毒だった。
すったもんだの末ピストルズはヴァージンと契約、バンドはクリス・トーマスのプロデュースで1stアルバムを制作するが、ベース・パートのほとんどはスティーヴ・ジョーンズか、脱退したグレンが呼ばれて弾き、曲作りもシドはほとんど関わっていない。音楽的にシドの貢献は何もなかったのだ。
やがて78年初頭、アメリカ・ツアー中にジョンが突然の脱退を宣言。その後バンドは列車強盗ロナルド・ピッグスとの共演や映画『グレイト・ロックンロール・スウィンドル』の公開などで延命するものの、78年10月、シドはナンシー殺害容疑で逮捕され、保釈直後の79年2月にヘロインのオーヴァードースで急死。すべては終わる。
生前、ジョニー・サンダーズとの新グループ結成に動いたり、グレンやラット・スケイビーズとのバンド、ザ・ヴィシャス・ホワイト・キッズでロンドンで一晩だけギグをやったり、元ハートブレイカーズのジェリー・ノーランのアイドルズとニューヨークでライヴをやったり……といった活動をおこなっているが、これといった成果を収めることはできなかった。そのときのライヴ音源は『シド・シングス』などのアルバムで発表されているが、ルーズなロックンロールを気持ちよさそうに歌う姿を確認できる。それ以上でも、それ以下でもないが。 (小野島 大)

制作協力:
OKMusic

表示切替:スマートフォン版 | パソコン版