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高木完

(タガギカン)

アメリカのヒップホップが、ニューヨーク、ブロンクスのゲットーの貧困から生まれたことは歴史的事実である。だが日本に於けるヒップホップは、パンクやニュー・ウェイヴのムーヴメントから派生したものだったと言えるだろう。そして高木完は、そうした日本のヒップホップの創成から現在までをともに歩んだ、いわば生き証人のような男である。
61年逗子に生まれた高木は、10代後半からバンド活動を始め、おりしも吹き荒れていたパンク・シーンの渦中に身を投じ、フレッシュのヴォーカリストとして、パンク系インディーズの先駆け、<ゴジラ>からシングルを発表、オムニバス『東京ニュー・ウェイヴ’79』にも参加した。当時まだ弱冠18歳である。
82年ごろから、原宿のクラブ、ピテカントロプスの常連として藤原ヒロシ、中西俊夫、小玉和文らとつるみながら、当時急激な勢いで勃興し始めていたヒップホップ・カルチャーを貪欲に吸収していく。パンクやニュー・ウェイヴの型破りの斬新さに夢中になった高木らが、さらなる未知の刺激を求めた末出会ったのが、ヒップホップというまったく新しい秩序だったのだ。高木はやがて藤原ヒロシとヒップホップ・ユニット、タイニー・パンクスを結成、88年には藤原、屋敷豪太とともに日本初のヒップホップのインディー・レーベル、<メジャー・フォース>を設立。これが日本のヒップホップ・カルチャーの本格的なスタートとなった。
90年代以降、スチャダラパーら若手のプロデュースなども手がけながら、高木はヒップホップの枠を大幅に踏み越える果敢な実験作を次々に送り出していく。92年の第2作『グラスルーツ』はそうした高木の意欲が結実した傑作であり、93年の『ヘヴィ・デューティ vol.1』は、かつての東京ロッカーズの雄フリクションのレックと共演した作品で、高木のルーツを明かすとともに、彼の考えるヒップホップの未来をも指し示した力作だった。その後もボアダムスのEYEらとの共演を通じてヒップホップの脱領域化を図ろうとする高木の歩みは、本家USヒップホップが失ってしまった実験精神、ジャンルを越境する冒険精神をいかに音楽の未来に蘇らせていくかという試みなのかもしれない。 (小野島 大)

制作協力:
OKMusic

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