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非凡な才能が結集した偉大なるグループ、ザ・ビートルズにおいて、ジョージ・ハリスンの立場は非常にシビアであった。バンド内でコンポーザーとして主導権を握っていたのは、間違いなくジョン・レノン&ポール・マッカートニーの2人であり、ハリスンは優れたソングライターだったにもかかわらず、作品発表の場に恵まれなかったのである。がしかし、ザ・ビートルズの活動後期に、その才能は一気に開花。「サムシング」(69年)、「マイ・スウィート・ロード」(70年)などのヒットを生み出し、陽の目をみた。
70年にザ・ビートルズは解散。同年、彼は、当時としては異例の3枚組アルバム『オール・シングス・マスト・パス』を発表する。プロデューサーにフィル・スペクターを迎え、デラニー&ボニーとの友好関係からアメリカ南部のミュージシャンたちが大挙参加。ハリスンのマイルドなヴォーカルを中心に繰り広げられる、眩いほどポップでナチュラルなナンバーの数々は賞賛を浴び、彼のキャリアにおける最高傑作となった。——その後、ツアーの不評/離婚/再婚/盗作訴訟/セールス不調といった波乱に見舞われるものの、『クラウド・ナイン』(87年)のヒットにより再起。また、88年に結成されたプロジェクト・グループ、トラヴェリング・ウィルベリーズは『ヴォリューム・ワン』でグラミー賞の栄冠に輝いた。
後年は、ザ・ビートルズの未発表曲リリースやアンソロジー本の出版などに多く携わったが、癌との長い闘病生活の末、2001年11月29日にロサンゼルスで逝去。享年58歳であった。合掌。

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