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自身の手によるヒット曲「The Loving Pauper(愛に溢れた貧しき者)」というニックネームで親しまれたシンガー。スウィートで深みのある抑制の効いた声をいかして、見事なまでに個性的なヴォーカル・テクニックを生み出した。シンガーとしてのスタートは、キングストン・カレッジ在学中に参加したコーラス・グループ「デルタズ」から。デルタズには、後にパラゴンズに参加するハワード・バレットも在籍していた。
ドブソンの手による1stシングル「Cry A Little Cry」は女性プロデューサー、ソニア・ポッティンガーのレーベル<ティップ・トップ>よりリリース。そこそこのヒットを収めたにもかかわらずグループは分裂、ドブソンはソロとしてソニアの下で活動を続けることとなる。ところがレコーディング・セッションでチャック・ジョセフと組んだ「Baby How Can I」をリリースするも、リスナーから総スカンを食らってしまう。しかし、ドブソン独特の素晴らしいヴォーカル・スタイルを、コクソン・ドット、デューク・リードらトップ・プロデューサーが放っておくわけがない。リードの下で「Loving Pauper」を、またコクソンの下で「Seems To Me I'm Losing You」をほぼ同時にレコーディング。両シングルともに大成功を収め、特に「Loving Pauper」は後に彼の代名詞的な曲となり、自身の手によるリメイクも含め、フレディ・マクレガー、ルディ・トーマスら多くのレゲエ・シンガーにカヴァーされた。また、ようやくヒット・シンガーという恵まれた地位を手に入れたにも拘らず、ドブソンは音楽の傍らセールスマンと新聞の校正という仕事を謙虚に続けたという。
彼はシンガーとしてさらなるヒットを飛ばし続け、シングル「That Wonderful Sound」はカリブ諸国で4万枚のセールスを記録。続いてリリースされた名曲「Endlessly」も同様にヒットした。これだけの成功にも拘らず、アルバムの制作に恵まれなかったドブソンは、シンガーとしての活動を一時休止していたが、82年にインナー・サークルのプロデュースで久々にシングル「Sweetheart」をリリース。今でも時折ライヴに顔を出したり、レゲエ・サンスプラッシュに出演したりしている。

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