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女性ジャズ・ミュージシャンのなかで最も有名——といっていいのがカーラ・ブレイだろう。38年5月11日、カリフォルニア州オークランド生まれ。
カーラ・ブレイは、幼少からピアノの先生兼教会のオルガン奏者である父親からピアノを習い始めたが、5歳にして教会で聖歌隊やオルガン奏者として実践的に音楽的経験を積み始めた。17歳でジャズに目覚め、ニューヨークへの移住を決心——しかしピアニストとしてもコンポーザーとしても生計を立てることができず、しばらくはウェイトレスをしながら生計を立てたという。
57年にピアニストのポール・ブレイと結婚。59年以降、素晴らしいナンバーを書き始めたが当時は旧姓を名乗っていたので、60年にジョージ・ラッセルが初めて彼女の「ダンス・クラス」をレコーディングした時のクレジットは"カーラ・ボーグ"となっている。以降、ブレイの作曲センスは広く認められ、アート・ファーマー、ゲイリー・バートン、チャーリー・ヘイデンといった大物ミュージシャンから依頼が殺到。また64年には「Jazz Composers' Guild」の創立委員として活動し始め、ジャズ界のコンポーザーたちにより広大なスケールで作曲を可能にする機会を与えた(その後「Jazz Composers' Guild」は解散したが、マイケル・マントラーが結成した「Jazz Composers' Orchestra Association(JCOA)」にも参加している)。つまり、彼女は企業からミュージシャンを守り、彼らにある程度の自己コントロールと自己決断を下す自由を与えるために多大に貢献したのである。
64年にファラオ・サンダースやチャールズ・モフェットと共演。彼女初の管弦楽曲「Roast」が発表されたのもこの時期であるが、同時期にフリー・ジャズにも没頭し始める。66年以降はフリー・ジャズに幻滅し、ジャック・ブルース率いるバンドと共演したり、コンポーザーとしての仕事に集中したりしていたが、76年には定期的なバンド活動を再開。また、ブレイは本人も語っているようにテクニック的には偉大なピアニストではないかもしれないが、唯一無二の作曲家であることは間違いない。——80年代に結成した六重楽団や、90年代終わりに行われたベリー・ビッグ・カーラ・ブレイ・バンドとのコラボレイトなどなど、その時代時代で新機軸を見せつけるカーラ・ブレイは今もって現役バリバリである。

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