AKB48、ももクロ、モー娘。……乃木坂46ら誕生した10年前のアイドルシーンを振り返る

 今年8月に結成10周年を迎えた乃木坂46。今や日本の女性アイドルグループのなかでもトップの人気を誇る一方、デビュー当時を知る1期生の高山一実が11月、生田絵梨花が12月に卒業するなど、グループとして世代交代の時期に差し掛かっている。

 ここで今一度、乃木坂46が誕生した10年前の女性アイドルシーンを振り返ってみたい。2010年頃から“アイドル戦国時代”と称されるアイドルブームが勃発し、2011年には東日本大震災で暗く沈んでしまった日本を明るく照らすかのごとく、多くのアイドルたちが活躍。全国各地で地方アイドルが多数生まれ、ライブを中心にインディーズで活動する地下アイドルも増えていった。

秋元康の言葉「AKB48で時代を作りたい」

 群雄割拠のアイドルシーンの頂点に君臨していたのが、AKB48だ。2011年のAKB48のトピックスと言えば、エースの前田敦子が6月に開催された『第3回AKB48選抜総選挙』でトップに返り咲き(前年1位は大島優子)、その際に口にした「私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」という伝説のスピーチ。スポーツ紙はいずれも『総選挙』の結果をトップで報じ、多くのテレビ番組も特集。全国をAKB48一色に染め上げ、一大現象と化した。

 プロデューサーの秋元康は2007年に出版された書籍『48現象 極限アイドルプロジェクトAKB48の真実』(ワニブックス)のなかで、「極言を言えば、アイドルグループをやりたいわけでも、アイドルを作りたいわけでもなく、時代を作りたいんですよ」と語っていた。AKB48は間違いなく、2010年代前半の日本のポップカルチャーにおける象徴のひとつだった。

【MV full】 フライングゲット (ダンシングバージョン) / AKB48 [公式]

 またAKB48は、震災支援の「誰かのために」プロジェクトを発足し、3月14日から義援金を募集、5月には被災地を訪問した。映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(2012年)では、被災地の現実を目の当たりにして言葉を失いながらも、人々を元気づけるために奮闘するメンバーの模様が記録されている。メンバーそれぞれが「自分たちに何ができるのか」と葛藤するなか、被災者はAKB48を歓迎し、彼女たちのパフォーマンスを楽しんだ。その姿は、当時の社会とアイドルの関係性そのものをあらわしているようだった。

「誰かのために」プロジェクト復興支援活動 / AKB48[公式]

アイドル界の路上の伝説・ももいろクローバーがAKB48を猛追

 このときAKB48を猛追していたグループが、ももいろクローバー(現ももいろクローバーZ)だ。ストリートからメジャーシーンへと躍進した“アイドル界の路上の伝説”は、2010年12月24日の日本青年館で開催した、初のホール単独コンサートでもすさまじいパフォーマンスをみせたばかりだった。

 AKB48のカウンター的存在として上昇気流にあったももクロだったが、2011年1月に人気メンバー・早見あかりが脱退を発表。大きな試練を迎えた。しかも早見の卒業1カ月前に震災が発生し、ツアーが白紙に。これは明らかに後付け的な言い方になるが、当時はももクロがこれから歩むであろう道のりと世の中の様々な不透明さが重なって見えたのであった。

 ももクロは、4月10日の早見脱退のイベント本編終了後にグループ名を“ももいろクローバーZ”へ変えることを発表(この当時は賛否両論、むしろ間違いなく否が多かった)。さらに改名の翌日から『試練の七番勝負』などのイベントを打ち、5月から始まったツアー『ももクロ ファンタスティックツアー2011 Zでいくって決めたんだZ』の最終日では、2時間ライブを3公演、計65曲を披露する“離れ業”をやってのけた。

 早見が抜けたことで、高城れにも「ももクロは終わった」と気持ちの糸が切れかけたそうだが、5人体制でしっかりと前進。社会全体に暗いムードが漂っていたが、彼女たちがピンチを乗り越える姿はアイドルファンにパワーを与えた。

【ももクロLIVE】Z伝説~終わりなき革命~ from サマーダイブ2011 極楽門からこんにちは / ももいろクローバーZ(MOMOIRO CLOVER Z/Z DENSETSU)

時代性を凝縮していたDorothy Little Happy

 仙台を拠点に2010年から活動をスタートさせたDorothy Little Happyは、楽曲の良さが瞬く間に広がり、2011年3月16日にメジャーデビューすることが決定していた。しかしデビュー5日前に震災が発生。

 筆者が同グループへインタビューをおこなった雑誌『BOUQUET Vol.2』(2015年/ROCKS ENTERTAINMENT)では、当時メンバーだった白戸佳奈が震災時について「内心“もうダメなんじゃないか”というのが本音でした」と振り返り、同じく当時メンバーの髙橋麻里は「みんなが苦しい状況のときこそ、(アイドルである)私の立場としてみんなに笑顔を見せなきゃなって」と、意識して明るい毎日を送っていたと話していた。東北に住んでいた彼女たちは、ブログなどで元気な声をファンに届けていたが、実際は「自分たちはどうなってしまうんだろう」と苦しい感情に覆われていたという。

 しかしDorothy Little Happyは、その年の『TOKYO IDOL FESTIVAL 2011〜Eco & Smile〜』(以下『TIF』)でMVP級の注目を集めた。『TIF』でも演奏され盛り上がったメジャーデビュー曲「デモサヨナラ」(2011年)は、アイドルソングのアンセムのひとつに。同曲中、メンバーが〈好きよ〉と歌えば、ファンが「オレモー」と返すコール&レスポンスは、現在に至るまでアイドル史に残るものとなった。

【OFFICIAL】Dorothy Little Happy『デモサヨナラ』(TIF2015)

 “アイドル戦国時代”で派生した地方アイドルの増加、そして東日本大震災後という点において、Dorothy Little Happyはアイドルシーンにおける当時の時代性をもっとも凝縮した存在であると筆者は考えている。

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