JO1 豆原一成の“挑戦”し続ける人生 今、同世代に伝えたいこと

JO1豆原一成が今、同世代に伝えたいこと

 夢に向かい、時に悩み苦しみながらも最後まで全力で挑むーーそんな彼らの姿に心打たれた視聴者も多かったのではないだろうか。オーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN』から誕生し、デビュー2年目を迎えたJO1。その最年少メンバーが豆原一成、現在19歳だ。番組出演時は17歳の高校2年生ながら、圧倒的な実力と人気を得てランキング上位に。一方で「時にはプレッシャーを感じることもあった」という豆原は、等身大の青年らしい部分と確固たる軸を持った人物だった。今回のインタビューでは、「目立ちがり屋だった」という幼少期からダンススクールに通い始めたきっかけ、オーディションに参加した経緯や、グループとしての活動まで。夢や進路に悩んでいる読者に勇気を与えるべく、赤裸々に語ってくれた。(編集部)

 ©︎LAPONE ENTERTAINMENT

プレッシャーを乗り越え、オーディション番組から叶えた夢

ーー豆原さんはつい昨年高校を卒業したばかりですが、学生時代はどんな生徒でしたか?

豆原:僕はいろんなスポーツをやっていました。運動が大好きで、小・中・高とずっと体育会系みたいな感じの生徒で。小学生の時は野球と水泳をやって、中学はそれに加えて、陸上で走り高跳びとか、あとは相撲とかも。

ーースポーツが好きだったんですね。ダンスを始めたのはいつ頃になるのでしょうか。

豆原:ダンススクールに通い始めたのは中学2年生の時だったんですけど、僕が小学生ぐらいの時に姉がダンスをやっていて、それを見に行ったりとか、一緒に家で踊ったりしていて。中学2年生の頃に「習いに行きたいな」と思い始めて、スクールに行くようになりましたね。

ーー行きたいと思ったのには、何かきっかけがあったんでしょうか。

豆原:GENERATIONSさんのダンスを音楽番組で見た時に、「こんなにかっこいいダンスをするグループがいるんだ」と衝撃を受けて。それからヒップホップ的な、かっこいいダンスをやりたいと思い始めて、お母さんに「ダンススクールに通いたい」と頼みました。

ーーお母様はどんな反応でしたか? また、その時からグループの一員として踊りたいという気持ちだったのでしょうか?

豆原:プロアーティストやプロのダンサーになりたい、芸能界に入りたいなと思っていたんですけど、スクールに通いたいと言った時、最初は親に反対されて。僕は結構飽き性な部分があって、色々なものを始めてはやめてしまうことが多かったので、親的には「どうせダンスを始めてもすぐやめるんでしょ」っていうのがあって、やらせたくないという感じだったと思うんです。でもその時に、「本当にやりたいんだったら、自分で探しなさい」と言われて、自分で色々探して「ここに行きたい」とホームページを見せたら、お母さんが「あなたが行くならここしかないでしょ」ってもうそのスクールを調べてくれていて。今思えば、すごく色々考えてくれていたんだな、と。反対していたけど、実は僕のことを信じてくれていたのがすごくうれしかったです。その後体験に行かせてもらって、最初は週1から始めたんですけど、途中からはバイトをしてお金も全部自分で払うようにして、スクールの日数を増やして……最初は女の子しかいないスクールだったんですけど、僕の影響なのかわかりませんが、その後に男の子も入ってきたりして。そういうのもうれしかったですね。

ーーその後2019年、18歳の時に『PRODUCE 101 JAPAN』に出演します。出演に至った経緯を教えてください。

豆原:『PRODUCE 101 JAPAN』を受けた年にいろんなオーディションを受けていたんですけど、うまくいかなくてちょっと悩んでいて。そんな時に、もともと韓国の『PRODUCE 101』を見ていた姉から、日本でやるから出ないかと勧めてもらって。最初は「いや、出ない」って言ったんですよ。

ーーそれはなぜだったんでしょう?

豆原:一つのものしか見えていなかったというか、自分はダンスしかできないと思っていて。『PRODUCE 101』は歌もダンスもやるので、僕はダンスでプロになりたいと思っていましたし、ちょっと自分の夢と違うんじゃないかな、と最初は思ったんです。応募締め切りが5月31日で、自分の誕生日が5月30日だったんですけど、その日に姉から電話がかかってきて、「応募した?」と言われて、「してないよ」って言ったら、「じゃあ今しよう」って。その時に「いろんな道があるから、やってみるのも挑戦だな」と思って、やろうと決めました。

ーー番組では、常に上位で実力もあって、周囲から一目置かれる存在だったように思います。一方で地元を離れて合宿するなど、大変なことも多かったかもしれません。JO1のメンバーに選ばれるまでを振り返ってみて、特に苦労したことはありますか。

豆原:僕は当時高校2年生だったので、合宿に新幹線で一人で行ったり、初めての東京や関東地域と地元を一人で行き来したりするのが、難しいなと思った部分もありました。それこそたくさんの人に見られるというか、今までは僕のことを知っている人がいなかったのに、「豆原一成」で検索するといろんなことが出てきたりとかして、ちょっと不思議な感覚があったり。オーディション中、自分は上位の方だったので、そのプレッシャーも感じて、すごくきつい時もありました。

ーーそんな時期をどのように乗り越えたんでしょうか。

豆原:やっぱり家族の支えが一番だったかな、と。合宿から帰った時とかに家族に悩みを話したりしました。ありがたいことに学校でも「豆ちゃん、豆ちゃん」と言われるようになって、でもそれも自分的には少しプレッシャーに感じたり、ちょっとつらいなと思った時もあったんです。そういう時に家族が「大丈夫だよ」って言ってくれたことがあって。それがなかったらもうダメだったんじゃないかなと思っているので、本当に支えでしたね。

ーーその後、最年少メンバーとしてデビューに至るわけですが、デビューまでの準備期間で印象に残っていることはありますか?

豆原:ファイナルが終わりデビューメンバーが決まってから、少しだけ地元に帰って友達や家族と過ごす時間はあったんですけど、すぐに韓国に合宿に行くことになりました。デビューに向けていろんな準備を速いペースでしていくことに、自分がもうプロなんだっていう自覚が芽生えましたが、気持ちの面では大変だったなと思います。当時、JO1の11人はオーディション上がりで、まだ「自分、自分」という気持ちがあったので、チーム感を築いていくこともすごく難しかったですし。それに僕は当時高校3年生で、こういう仕事をしながら卒業に向けて勉強していたので、そこの両立は本当に大変だったな、と。テストとかもたくさんあって、メンバーから勉強を教えてもらう時もありました。

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