パノラマパナマタウンが語る、ロックバンドとしての今「“数字”は絶対的な価値ではない」

パノパナ語る、ロックバンドとしての今

「“人対人”でやり取りしながらライブをすることが一番大事」(浪越康平)

ーーこなしているだけ、というか。

浪越:そう。でも、いくら機材トラブルがあったりして出来が悪かったライブでも、そこにいた時のその瞬間の自分の感情に嘘がなければ、後悔はしないんですよね。やっぱり、自分の本質や正直な気持ちを表現したり、「音楽って楽しいよね」っていうことをちゃんと“人対人”でやり取りしたりしながらライブをすることが、一番大事だなって思って。それは、表面的に盛り上がっているかどうかっていうことよりも大事なことで。僕にとっては、そういうことに気づけたツアーでしたね。

ーー今話したことにも繋がると思うんですけど、ちょっと前に、岩渕さんがTwitterで「実存を取り戻す。それは小さなライブハウスからでもいいじゃんか。」ってツイートしていたじゃないですか。この“実存”というワードって、今を生きる僕たちにとってすごく大事なものなんじゃないかって思ったんですよね。

岩渕:そうですね……。虚しいことが多いなって思うんです。数字のやり取りひとつ取っても、自分が気持ちを込めて作ったものを「何枚売れたか?」とか「何人に届いたか?」っていう数字に変換されるのって、すごく虚しい。「$UJI」の根底には、そういった部分での自分に対するふがいなさもあるんです。「『PANORAMADDICTION』ってどんなアルバムなんですか?」って聞かれたら、「何枚ぐらい売れててさ~」みたいに話し始めちゃったり、「最近調子どう?」って聞かれたら、「ライブ、このぐらいのキャパが埋まるようになったんですよ~」って答えてしまったり、まずは数字の話から話し始めちゃう……そういう自分が情けないんですよ。「フカンショウ」で歌ったように、本当は誰の目も気にせず生きていきたいのに、それができていない自分がそこにはいて。

ーーなるほど。

岩渕:それに今は、いろんなことが情報になって、データになっていくじゃないですか。そこにも虚しさをすごく感じる。もしかしたら、今の若い子たちの中には、LINEでの友達の多さとか、Twitterのフォロワーの多さとかを絶対的な価値だと思っている人もいるのかもしれないけど、価値って絶対にそれだけではないじゃないですか。それに、たとえば食べログで2点の汚い定食屋だって、実際に自分で食べてみたらすごく美味しいかもしれない。でも、「食べログで2点」という情報だけで、やり取りされてしまう。そういうのが本当に虚しくて嫌なんですよ。生きている感覚から、どんどん遠ざかってしまう気がする。

ーーそうですね。

岩渕:でも、ライブだったら“実存”を取り戻せるんじゃないかって思うんです。“実存”なんて言うと難しいことのように聞こえるかもしれなけど、単純に、“生きてる”って思いたいんですよ。ライブって、それができる空間だと思うんです。ライブをしているときだけは、自分が心の底からやりたいことができるし、心の声を吐き出すことができる。テストで悪い点数を取って、その数字だけで「お前は落ちこぼれだ」と言われたやつでも、ライブの熱狂の中では、自分の気持ちを吐き出せる。ライブをやっているときは“生きてる”って思える。

ーー最初に話していた“数字”の話もそうですが、何か曖昧なものに勝手にカテゴライズされたり決めつけられたりすることに対する違和感、あるいはその反対にある“自分自身であること”や“生の実感”に対する執着は、パノラマパナマタウンの表現の中心に一貫してありますよね。

岩渕:そうですね。「生きたフリして生きてんじゃねぇよ」とか、「死んだみたいに生きてんじゃねぇよ」とか、そういうことを歌っている曲は多いと思います。そもそも、「落ちこぼれ」とか、「お前の代わりはいくらでもいる」とか……そういう言葉が僕はすごく苦手なんですよ。

ーー「$UJI」でも<お前の代わりはいくらでもいるって/そんな絵空事 命は一じゃない>って歌っていますもんね。

岩渕:そう、人が数値化されて「ある人は、ある人に比べて優れている」とか、本当によくわからない。だって、さっき言ったみたいに「こいつはテストの点数が悪いから落ちこぼれなんだよ」って言われたやつが、いろんな特技や趣味を持っている、すごい面白い人間かもしれない。そんなことで人の可能性が狭められるのって、もったいないじゃないですか。

ーーまさに。

岩渕:でも現実には「お前の代わりはいくらでもいる」なんて繰り返し言われて、その言葉を信じながら生きている人たちが、きっといますよね。僕も、そういう言葉を信じていたから受験勉強をめっちゃ頑張ったりしたんだと思うんですよ。何も考えず大学まで行ったなっていう感覚があるから。でも、一生懸命勉強していい大学に入っても、本当に自分がなりたいものになれるのかは、数字ばっかり気にしていたらわからないから。数字だけじゃない、そこにない価値観にも気づいてほしいんです。それを始めるのなら、たとえ小さなライブハウスからでも、すごく意味があることだと思う。

ーーもっと言うと、それをロックバンドとして表現することに意味があるとも思いますか?

岩渕:そうですね。心の底にあるものが見たいし、“生きてる”っていう感覚が欲しい。そう考えると、無気質なものではダメで。バンドって、こうやって4人で音を鳴らせば、自分の思い通りにはならないこともあるんですよ。でも、そんな別々の4人の音が合わさるからこそ、バンドは成り立っていて。バンドだからこそ鳴らせる音楽はあるなって思います。

ーー複数の人間が集まってひとつの方向を向こうとする、そこから生まれる歪さや体温がロックバンドの魅力だっていうのは、僕も共感します。

岩渕:あと、社会に対して「なんで?」っていう疑問を投げかけるのって、本来はロックバンドがずっとやってきたことだと思うんですよ。でも、今の日本を見渡しても、そういうロックバンドってほとんどいないなって思う。なんでみんな、生活に関係のないことばかり歌っているんだろう? とか、なんで楽しくないのに「楽しい」って言ったり、怒ってないことを怒っていることにしたりするんだろう? って思うんですよ。本当に心から思っていることを叫んで、社会に対して違うと思うことがあるのなら、「違う!」って叫ぶのがバンドのはずなのに……。今はラッパーの方がよっぽど、そういう表現をしていると思うんですよね。

ーー確かにそうですよね。社会的なメッセージという点においても、内省的な心象表現という点においても、今はヒップホップの独壇場という感じがします。

岩渕:僕自身、ヒップホップも好きだし、日本のアイドルだってすごく好きなんですよ。今はそっちの方が、心の声や叫びを表現できている人たちが多いような気がします。Nirvanaに憧れているような人たちが、今はラッパーになっていたりする。僕、XXXTentacionがすごく好きなんですけど。

ーー確かに、XXXTentacionの音楽は本当に剥き出しな質感がありますよね。90年代におけるカート・コバーンって、こんな感じだったのかなって思ったりします。

岩渕:そうですよね。歌詞を読んでも、心からの叫びを歌っているなって思うし、いつ死ぬかわからないようなライブを繰り返しているし。でも、大好きだからこそ、バンドという表現で超えたいって思うんですよね。“それは本来、ロックバンドがやっていたことなんだ”って思うから。……ちなみに、この中で一番ロックバンドに対する思い入れが強いのは、浪越なんですよ。

ーーそうなんですか?

浪越:そうですね……思い入れは強いです。ロックバンドって、そもそもは社会から見下されているような、何もない兄ちゃんたちが集まって社会を変えてきたっていう歴史があるじゃないですか。「言っちゃいけない」とか「しちゃいけない」って言われていることをできるのが、ロックバンドのすごさだと思うんですけど、そういう意味では今、世界を見渡してもロックバンドっていないに等しくなってきていて。でも、ジミ・ヘンドリックスやNirvanaが培ってきた「ロックバンドの伝統的なものを守っていきたい」っていう気持ちは、僕の中にはあります。もちろん、そういう表現が今の日本ですごくウケると心の底から思えるわけではないけど、でも、カッコいいロックバンドを日本に残したいし、今ロックバンドというスタイルで音楽をやることには、すごく意味があると思うんです。

岩渕:バンドが一番カッコいんだっていうことは、もう一回言いたいよね。ロックバンドが叫ばなきゃいけないんだって。

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