BRAHMAN TOSHI-LOWが語る、問いかけの先にあるもの「長くやりたいがためじゃなく、今をぶつけあってる」

TOSHI-LOW語る、問いかけの先の未来

また一からめくっていこう、自分たちを作っていこう

ーー最近はバンドを離れたTOSHI-LOWさん単独でやる活動も増えてますね。それも今作に影響してますか。

TOSHI-LOW:呼ばれますからね。呼ばれなきゃやらないですけど。もともとソロ思想がないから。ソロで何かしたいっていうのがない。バンドでやる表現が一番好きだし、すべてバンドでいいと思ってるんですけど、でも個人として呼ばれると、まったくバンドでやらないことをやらされるでしょ。ブルースやファンクを歌わされたりとか。俺が個人では選ばねえだろうなって歌を選曲されたりとか。でも歌を歌う身としては、それはとても楽しくて。それもまた、人のために動くってことだから。ふだんできないことをやれたり、バンドではできない人とセッションできたり。セッションってこんなに楽しいんだなって。ほんと、20代とかでやらなくて良かったと思ってる。

ーー(笑)。そうですか。

TOSHI-LOW:(笑)。はい。全拒否しといて良かったなと(笑)。そこで和気藹々としてやってしまったら、自分の中の闘争心とか尖ってる部分を失ってしまったかもしれない。尖ってて良かったものまで奪ってしまったかもしれない。

ーー周りに馴染んでしまうと自分が崩れてしまう恐れみたいな。

TOSHI-LOW:あったと思います。強いから突っ張って一人になったんじゃなくて、弱いから、紛れてしまうことで自分が崩れてしまう恐怖のほうがでかかったんだと思う。今分析すればすごくそう思うけど、でもその頃のインタビューでは、決してそんなことは言わなかった。

ーーでしょうね。

TOSHI-LOW:うん。でもそのことで、楽曲に対してもライブに対しても、インタビューとか、自分たちのあり方にしても、ある種鋭利なものを持ち続けられたのかなと。今思えばね。その時代はそれで良かったと思うし、後悔はないですけどね。

ーー意外なところでは、こないだはLUNA-SEA/XJAPANのSUGIZOのアルバム(『ONENESS M』収録「Garcia」)に参加されてましたね。

TOSHI-LOW:うん。だってさ、いきなりあのトラックが送られてきて「好きにやって」って、どうにもできねえよ!(笑)。

ーーSUGIZOさんの作るジャーマン・エレクトロみたいなトラックに、TOSHI-LOWさんがポエトリー・リーディングを乗せている。

TOSHI-LOW:もうイジメかと思ったよオレ、マジで(笑)。

ーー(笑)。あの音はさすがにTOSHI-LOWさんの文化の中にはないですよね。

TOSHI-LOW:まったくないす(笑)。どんな風にあんなトラックを作ってるのかもわからない。話があったとき、ワンコーラスぐらいちょろっと歌わされるもんだと思ってたら、あんな宇宙の果てみたいなのが送られてきたからびっくりして(笑)。

ーーでもあの音にTOSHI-LOWさんが加わったら面白い、ハマるだろうと少なくともSUGIZOさんは考えたってことですよね。SUGIZOさんはCDブックレットのライナーで「完全に彼(TOSHI-LOW)に向けて書きました」と言ってます。

TOSHI-LOW:ハマると思ったのかな。もしかしたら、ハマらないものを、こいつなら力業でなんとかするんじゃねえかと思ったんじゃないの? スギちゃんに訊いてみないとわからないけどさ。

ーーそういうのって、自分がどう見られてるのか知る機会ではありますよね。

TOSHI-LOW:自分の持ってるスペックというかさ、ゲームとかであるじゃないですか。“攻撃力”“防御力”“スタミナ”とか。ああいう自分の持ってるスペックと、相手が何を望んでるのかを考えて、具体的に自分のできることを探すしかないですよね。あの場合、意味のないキレイなメロディを探し出してつけるんじゃなく、ほかの人が言いづらいことであったりとか、辛辣なことを言うべき役目なんだろうなと思ったし。……さっき「解き放たれたい」って言った割には、自分が求められていることって決して嫌いじゃなくて。

ーー絶対そうですよね。

TOSHI-LOW:うん。だってそれを期待してくれてるんだ、俺にだったらできると思ってもらってるってことは、とても嬉しいことだし。好きな人にそう思ってもらえるというのは……自分が自分を諦めかけてたから。俺なんかじゃ無理だよ、なんて思ってた時期もあったからね。そんな時に俺にその場を持たせてくれるんだったら、結果どうなるかわからないけど全力でやってみたい。期待に応えたい。今はそう思ってるし、それでセッションとか、ほかの人と関わることができたのは大きかったし、自分で自分を発見する1年だったと思うしね。

ーー長年同じメンバーでバンドをやってると、その中での役割とか自分のやることは自然と決まってくるけど、そこから離れたところで人から求められると、自分でも気づかなかった自分の一面が見えてくる。それは最終的に自分の幅を広げることになりますよね。

TOSHI-LOW:その通りですね。SUGIZOのやつなんかは特にそうだね。自分が求められてることに応えて、自分の心の中にある言葉をしっかりと書いたうえで、でも最後のピースがハマらなくて。で迷ってる時に仲井戸麗市が「ガルシアの風」を朗読してるのを聞いて震えるぐらい感動して、その一節をもらってはめることで、最後のピースが埋まって完成したんですよ。

ーーなるほど。そういうソロとか頼まれ仕事みたいなものをやることで、BRAHMANの役割とか、そこで自分がやるべきこととか、逆に明確になってきたのではないかと思うんですけど。

TOSHI-LOW:そうですね。たとえば弾き語りで歌いたいものとか、OAU(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)でやってるような、音楽そのものを楽しいねって言えるものと、ブラフマンで求めてるものとは違うんだなと自分でも思うし。でもそれは別に新しいものじゃなくて、23年前にブラフマンを結成したときに、「激しくてさ、切なくてさ、強くてさ、でも柔らかくてさ、怒ってるけど面白くてさ。そんな音楽できないかな?」とみんなで話してたものと一緒だったんですよ。あれ、あの時もう言ってたことじゃん、って。要は、まだ音も何も鳴らしてない段階で「一緒にバンドやろうよ」ってRONZI(Dr)に言った時に話した通りのアルバムになってるって思ったのね、『梵唄 -bonbai-』がさ。

ーーああ、なるほど。

TOSHI-LOW:最後の最後にできた曲を並べてみたら、「これ、一番最初に自分たちがやりたかったまんまじゃん」って。メロディがあるのに激しくて、あっちいったかと思ったらこっちいって。飛んだと思ったら穴に落ちて。うわーっと怒鳴ってたら素っ頓狂にリズムが変わって、予想がつかなくて。でもフックでグッとくるような……最初の頃は他にないヘンテコなものにするために、わざと奇をてらって、誰もやってないようなものをやり狂ってて。でもヘンなものにしすぎると自分たちでも違和感があって。これ、1回だけならびっくりしてもらえるけど、2回聴かないぜって。そういうものがやりたいんじゃないんだよ。1回目はびっくりしても、2回目からは腑に落ちていくような展開を作りたい。10年後も聴いてられるような曲を作りたい。流行り廃りにいちいち対応するようなものにしたくない。そんなことを最初のメンバーと話した記憶があるけど、それが結局今やってることとまるっきり一緒だという。

ーーそれは23年かけて戻ってきたということなのか。それとも自分たちは同じことをやり続けてきたんだという実感があるのか。どっちに近いでしょう。

TOSHI-LOW:螺旋階段みたいなものですかね。同じようなところをグルグル回ってるんだけど、ちょっとずつ……上がってるのか下がってるのかわからないけど(笑)。遠くに来たとは思ってないし、回り道して戻ってきたとも思わない。間違いなくカロリーは使ってるんですよね。運動量はかなり費やしてる。でも実感がない。「あれ、あんなに歩いたのに、同じとこにいない?」って。

ーー同じところを回ってるようでも、実はすごい高いところにきていた。

TOSHI-LOW:かもしれないけど、ほかの人から見れば「あいつらずっとあそこにいるよ」って思われてるのかもしれない。

ーー二律背反というか、矛盾したものを内包してて、でもその総体がBRAHMANの魅力であるという。それがバンドってものじゃないでしょうか。

TOSHI-LOW:そうなんですかね? じゃああなんでほかのバンドはそれやらないんですかね?

ーー矛盾を抱え込んで、それを認めた上でバンドとして一貫してまとまったものするのはしんどいし、自信も努力も必要だから。でも単一の色しかないものよりは面白いし複雑な陰影が生まれる。

TOSHI-LOW:単一にしたほうがわかりやすいじゃないですか。バイクと革ジャンとロックンロール、みたいな。でもそこからこぼれてしまうものが俺はすごく好きなんだろうね。

ーーわかります。

TOSHI-LOW:今はね、ほかのメンバーから出てくる一個一個のフレーズとかアイデアを、大事にしたい。ボツにしたくない。できるだけ使おう使おうと思う。

ーーそれは昔と違うんですか?

TOSHI-LOW:うん、違う。いや……知らず知らずのうちにそうやってたのかもしれないけど。

ーー今のBRAHMANって、お互いのエゴがぶつかった末の適当な妥協の産物……お互いに少しずつ不満が残っているような……ではなく、お互いのやりたいこと、お互いの人間性や人生まですべて受け入れた上で調和している、という気がします。長い時間をかけてその境地まで辿り着いたというか。

TOSHI-LOW:……大人が2人いたら社会じゃないですか。長くやるって難しいと思うし。オレなんかエゴがむちゃくちゃ強いタイプの人間だから、人と一緒にやっていくって、「ああ、すげえ譲っていただいたんだなあ、受け入れてもらったんだなあ」ってこともいっぱいあったのかもしれないし。

ーーそれ気づくのには時間がかかるのかもしれないですね。

TOSHI-LOW:かかりますねえ。でも知ってしまったら、自分も相手に対してそうしなきゃいけないと思うし。それは妥協じゃないんですよ。やっぱ、もらいっぱなしはやだし。そういう意味では、ただぶつかり合うのでもない、ただ馴れ合うのでもない、自分たちの付き合い方はできてると思う。でもそれは長くやりたいがためにやってるんじゃなく、今をぶつけあってるんだと思うし。

ーー長くやって惰性にならないようにするのは大変ですね。

TOSHI-LOW:そうなんですよ。ただ俺たち、やってないことが意外にいっぱいあったから。なんで20代の時にセッションしなくて良かったかっていうと、今からそういうことやれるかと思うとワクワクするんですよ。実際、オレはここ何年かむちゃくちゃワクワクしっぱなしだし。やったことのないことはいっぱいあるし。だってこんなイビツで偏屈なバンドがこんなに長くやれて、受け入れてもらえるなんて、まったく思ってなかったから。どっちかというと、高円寺20000V(現・東高円寺二万電圧)で、ノイズとかそういう人たちの一派だと思われてたし、それで良かった。どうせドラムがフルチンのヘンなバンドでしょ、みたいに思われて、それで終わっていくと思ってたし。でも、だからこそやりたいようにできたと思ってるんですよ。どうせ誰も見てねえし、好き勝手にやっちまおう、みたいな。それがいつのまにか見ている人が増えて。見ている人が増えると、「やべえ!」って、パンツを履き出すわけですよ(笑)。パンツを履いてズボンを履いて、そういう自分たちの辻褄を合わせるために理由が必要になってくる。そうすると、「今」ってものと、「続けてる」ってことが、ギシギシいいだすんですよ。

ーーああ、なるほどね。

TOSHI-LOW:でも聴いてくれる人はいる。ギシギシギシギシいいながら、時間は進んでいく。自分がその上に立っていると、グラグラしてるのがわかる。グラグラしながらも動いてはいる。でもある日グラグラで立ってられなくなって、じゃあ自分の足場にあるものなんだろう、これは矛盾の沼じゃん。どうにも立ってられない。ズブズブズブズブ……ああもうダメだわ、このまま飲み込まれてしまう……と思った時に、社会で違うことが起きた。ここまで埋まったんだったらもういいや、捨て身でいっちゃおう。結局バンド始めた時みたいな捨て身の姿勢に少し戻るんですよね。全部戻れるわけじゃないけど。

ーー震災の時の話ですね。

TOSHI-LOW:で、20周年って禊ぎも済んで、また一からめくっていこう、自分たちを作っていこうって、何年かかけて作ったのが『梵唄 -bonbai-』なんです。

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