EXILE ÜSAが語る、DANCE EARTH PARTYにかける思い「ダンスの力で役に立てることがある」

EXILE ÜSA、“DEP”への思い

ポップコーンは僕が人生で初めて覚えたステップ

EXILE ÜSA

ーーさて、今回ÜSAさんはリアルサウンド初登場ということで、これまでの歩みについても話を伺いたいのですが、そもそもダンスを始めたきっかけは?

ÜSA:きっかけは中学校2、3年生ぐらいの時ですね。とんねるずさんのTV番組にM.C.ハマーがゲストで出ていて、とんねるずの2人にステップを教えてたんですけど、それがまさにポップコーンのステップで。それを真似したのが始まりなので、ポップコーンは僕が人生で初めて覚えたステップでもあるんですよ。もともとは表に出て何かをやるタイプの少年ではなく、どちらかというと恥ずかしがり屋で人の前で何かをするなんてとんでもないという感じだったんですけど、どこかで自分を表現したい、この溢れ出すエネルギーを何かにぶつけたいという気持ちがふつふつと湧き上がってきていて。ダンスを見た時にこれだと強く思いましたね。根拠は何もなく、これなら自分にもできるんじゃないかって気分にさせられたんです。

ーーこれだ、という直感があったと。

ÜSA:結構飽きっぽい性格なんですけど、ダンスに関しては1週間経っても2週間経ってもその熱が冷めやらず、もっと上手くなりたい、もっとステップを覚えたいと続いていきました。

ーー本格的にダンサー、パフォーマーを目指そうと思ったタイミングは?

ÜSA:何段階かあるんですけど、最初は高校卒業後の進路を決めた時ですね。就職も進学もせずアルバイトをしてお金を貯めて。卒業したその年の夏にニューヨークにダンス修行に行きました。親や先生からは「プロになれる道筋はあるのか?」と聞かれましたけどね。ダンサーという職業はその時にはまだあまり成立してなかったですし。だけど、とにかくやりたいんだと突き進んでいって、本格的にこれでメシを食いたいと思い出したのは20歳過ぎてからですね。

ーーなにかきっかけとなる出来事が?

ÜSA:HIROさんにDREAMS COME TRUEの日本武道館公演のサポートダンサーに誘っていただいて。そのステージに立った時、お客さんが本当に幸せそうな顔をしていて、アーティストってすごいなと。吉田美和さんも僕らサポートメンバーに対して同じステージに立つ仲間として接してくれました。そんな温かいステージに感動して、自分たちがアーティストとしていつか武道館に立てるようになったらどれだけ幸せだろう、そうなりたいと思いましたね。と同時に、HIROさんの頭の中には当時ダンサーも表に出ていくようなグループを作りたいという構想があったので、それを聞いてさらに腹が決まりました。

ーーその後、ターニングポイントになったのは?

ÜSA:それからは本当に突き進んでいった感じです。J Soul Brothersというグループでデビューすることになって、もちろんはじめは世の中の人たちにパフォーマーと言ってもなかなか通じない部分があって。バックダンサーの人たちですよねと、なかなか認めてもらえない期間もあったんですけど、今思えば常に続けること、継続は大事だなと思います。

ーーパフォーマーという言葉も、今では共通言語になりましたよね。

ÜSA:ありがたいことです。

ーーそして、EXILEでのパフォーマーとしての活動と並行して、DANCE EARTH PARTYの発端となるプロジェクト「DANCE EARTH」をスタートさせることになります。

ÜSA:約10年前ですね。EXILEで第1章と言われている時期にメンバーが脱退して、グループの活動がしばらくできない期間があったんです。その時にやっぱりこれからは一人一人が自分の足で立っていられるようなプロジェクトや、一人一人が信念を持って集まった時に強いグループになれるようにしていきたいという話が出て、自分には何ができるかのかということを改めて考えました。その中で僕にはダンスを世界中で踊りたい、世界中のリズムを乗りこなしたいという夢があったので、その一歩を2006年に踏み出したことが大きかったです。会ったばかりの人たちとダンスを踊った瞬間に、昔から友達だったかのように近づける感覚があって。ダンスがない国も民族もないということは、世界中の人とダンスさえあれば繋がれる。それを証明したくなって、EXILEの活動の合間にアフリカやインドに行くようになりました。ただ、そうやって旅をして踊っただけでは自己満足で終わってしまうので、そこで感じたことを本や映像にして、その経験をもとに舞台化もして、テーマソングで楽曲を作って……と、冒険を表現に変えていくということを「DANCE EARTH」でやっていきたいと思うようになりました。

ーーそれまではステージに立って見せるパフォーマンスをメインにしていたと思いますが、舞台から降りて踊ることで気づいたことや違った感覚はありましたか?

ÜSA:めちゃくちゃありますね。外に出た瞬間、自分が培ってきたものや看板みたいなものが全部通用しないんです。ただ物体として、一人の踊る男に戻るというか、そこで勝負しなきゃいけない。そうすると、踊れば踊るほどダンスが持つ力に気づいて、ダンスへの愛が深まっていきましたね。例えば昔考えていた、有名になりたい、ダンスで1番になりたい、上手くなりたいっていうのは全て自分に矢印が向いていますよね。それが自分が踊ったことによって誰かが元気になったとか、涙を流してくれる人がいたりとか、人生が変わる人がいたりとか、出会いを通して感じていくうちにどんどん矢印が自分じゃない方向に向かっていったんです。誰かのために踊ることによって、自分に返ってくる。好きなことをやって誰かが喜んでくれる、こんなに幸せなことはないなと。そう思ってからステージに立つと、エネルギーを発せれば発するほど戻ってきて、循環してる感じがして。本当にいつまででも踊っていられるような気分になっていったんです。それが一番の変化ではありましたね。

ーー旅の中で、印象に残っていることは?

ÜSA:インドでは昔カースト制度という身分の階級制度があって、生まれた瞬間に運命が決まってしまっていたんです。物乞いとして生まれた子供たちは路上で恵んでもらうために見た目がかわいそうな方がいいからと腕を切り落とされたり、目を見えなくさせられたりする。その子たちがダンスを覚えられればストリートダンサーとして稼げるんじゃないかとも思ったりしました。あと、月100円の学校代を払えない子供たちがいっぱいいるような村に学校をみんなで建てようというプロジェクトに力を貸していて。僕らは当たり前に夢が見られて、そして時には夢がなくて悩んだりもする国に生きていますよね。でもその土地の子供たちは夢を描くこと自体したことがないんです。だからって別にへこんでるわけではなくて、生まれ持った運命をただ生きている。今はもう制度はなくなっていますが、子供ながらにどこか我慢してる部分があるんでしょうね。ダンスを教えに行った時に夢を聞いても最初はみんな答えなかったけど、一緒に踊り終わった後にふともう1回聞いてみたら「本当は学校の先生になりたい」「警察官になりたい」と答えてくれました。「でも今日踊りが楽しかったから2番目にダンサーになりたい」とか。2番目かよと思ったんですけど(笑)、でもそうやって心を開いてくれて、踊った後ってすごくポジティブな発想に変わっていくんだなと、ダンスの力をそこでも感じましたね。まだダンスの力を使いきれてない、特にこの日本でもまだまだ役に立てることはあると思って、今はそれを追求しています。

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