クラムボン・ミトとTWEEDEES・沖井礼二が明かす、2人の「距離」と「伝家の宝刀」

ミトと沖井礼二が明かす「距離」と「らしさ」

 クラムボン・ミトによる、一線で活躍するアーティストからその活動を支えるスタッフ、エンジニアまで、音楽に携わる様々な”玄人”とミトによるディープな対話を届ける対談連載『アジテーター・トークス』。第五弾となる今回は、ミトと同じベーシストで、クラムボンと同時期にCymbalsでデビュー、ともに後進のミュージシャンに多大なる影響を与え、音楽作家としても活躍しながら、現在は清浦夏実とのバンド・TWEEDEESのベーシストである沖井礼二との対談を行なった。

 改めて同じ時代を歩んできた2人の出会いや、互いが意識しあっていたからこそできた“距離”と、それが一気に縮まった夜の話。さらにTWEEDEESとクラムボンの変化やミトと沖井が持つ「らしさ」の正体などに迫った。(編集部)

第一弾【クラムボン・ミト×大森靖子が考える、ポップミュージックの届け方「面白い人の球に当たりたい」】
第二弾【クラムボン・ミト×『アイマス』サウンドP内田哲也が語る、アイドルアニメ・ゲームに“豊潤な音楽”が生まれる背景】
第三弾【花澤香菜は声優&アーティストとしてどう成長してきた? クラムボン・ミト×花澤マネージャーが語り合う】
第四弾【クラムボン・ミトとbambooが考える“悪巧み”の重要性 バンドを長く続けるために守るべきことは?】

「綺麗な中央分離帯の向こう側でぴったり並走し続けていた」(ミト)

ーー旧知の仲であるお二人ですが、あらためて初対面の印象を教えてください。

沖井礼二(以下、沖井):初めて共演したのは1999年の2月。Cymbalsの2ndミニアルバム(『Missile & Chocolate』)のレコ発を渋谷の屋根裏でやったんですけど、その時にクラムボンが出てくれて。

ミト(クラムボン)

ミト:初めて会ったタイミングで言うと、その前に僕がブッキングのアルバイトをしていた『Ojas Lounge』(現:南青山『RED SHOES』)で、同僚が土岐麻子ちゃんを知っていて、3人が店に来たときに紹介されたんですよね。あのときのライブには思い出があって、今のクラムボンでハウスPAをやってくれている西川一三さん(フィッシュマンズやSuchmosなども担当)が最初に僕らをオペレートしてくれたライブだったり。

沖井:そうなんだ。ミト君が赤いジャズベースを持って、ファズを踏んだときに「ああ、これがクラムボンか。ファズ踏むんだ」と思ったのを覚えてる(笑)。楽屋で音楽の話をしていて、最初はThe Whoで盛り上がっていたんだけど、最終的にはミト君が小室哲哉についてものすごく熱く語り始めて。わりと僕の身の回りで小室さんについて語る人は初めてで、その時の印象は「幅広くて好奇心の強いやつだな」というものだったんですけど、それはいまだに全然変わってない。付き合えば付き合うほど、あれがミト君の本質なんだなと思わされるよね(笑)。

ミト:(笑)。沖井くんとは8つも年が離れていて、演奏的な部分も喋りもフォルムがしっかりした、自分のスタイルを確立している人というイメージでした。ただ、すごく不思議なもので、お互いに「自分と合うな」と思っても繋がることを求めるタイプの人間ではなかったんですよ。スタイルがしっかりしているというのは、一方で混ざるのが難しいということでもあるから。繋がっていくうちに自然発火が起きるだろうとは思っていたけど、それをお互いに急いではいなかったというか。

沖井:お互いのやること、やるべきことっていうのは、最初に話したときにある程度わかったんですよね。相手のやっていることを信頼しているし敬意もあるから、そこに迎合しようという気持ちもなかった。あいつが頑張っているから俺も頑張ろうという気持ちで。いわゆるツルむ感じではなかったね。

ミト:今となって思うことですが、繋がっていれば繋がっているだけ身動きが取れないことも出てくると思うんですよ。その分僕らは、とっても綺麗な中央分離帯があるんだけど、その向こう側でぴったり並走し続けていた状態ーー京浜東北線と山手線みたいな感じというか(笑)。私がそれを最も感じたのは、Cymbalsが『Sine』を出したときで。数寄屋橋のHMVで試聴して、「沖井くんたちがこの路線をやるなら、私たちは干渉しないほうがいいな。日本でモダンな音楽をハイブリッドにブラッシュアップする人たちは、この人たちをおいてほかに出てこないな」とショックを受けたんです。

沖井:その直後くらいに、表参道のTSUTAYAへ行ったとき、かっこいいランブレッタが停まっているなと思って見てたら、ミト君のだったみたいで。そこから立ち話をして、アルバムの感想を言い合ったりしたんだけど……そこから15年くらいちゃんと会ってなかったんだよね。でも、別に喧嘩したわけでもなくて、あちこちでバッタリとは会うし、頭の片隅で互いの活動を追い続けてるし、ベーシストとしても人間としても好きな人なんだけど、まずはお互いの仕事をしっかりやろうという感じだったかな。

沖井礼二(TWEEDEES)

ーーなぜそのような判断をしたのでしょうか。

沖井:なんというか、90年代の末ってツルむのが流行った時代だったから(笑)。自分たちはそういうのと違う気がしていたし、そうじゃないから出来ることがあると思っていたんですよ。クラムボンもずっと孤高じゃない?

ミト:孤高なのかな(笑)。まあ確かに、行くときは自分たちから行くというか、向こうから来られても、どうおもてなしをしていいのかわからないチームなんです。会いたい人たちには自分から会いに行くし。でも、別にそれは斜に構えてるわけじゃなくて。多分、同年代だとキリンジやNONA REEVESも同じかもしれないんですけど、一緒に何かというわけではなくて、同じく並走している人たちが互いに頑張っているのが居心地良かったというか。

ーーそうやって特定のシーンに絡め取られなかったからこそ、今のキャリアがあるんだと思います。

沖井:シーンって、流行が一つの形を取ったものじゃないですか。そういうものを気にするよりも、自分の相手をするのが忙しかったのかもしれない。自分の興味があるもの、やりたいもの、聴きたいものが作りたいから、流行しているものを知ってはいても、それよりもやりたいことがあった。

ミト:私たちは2001年からスタジオを小淵沢に移して、外界との交信もほぼ無くなって。当時のコロムビアのチームとも、彼らが小淵沢に来るまで連絡しなかったですからね(笑)。確かに沖井くんの言う感覚はすごくわかります。

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