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いきものがかり・水野良樹と哲学研究者・戸谷洋志が語り合う、Jポップに哲学が必要な理由

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「水野さんの作詞に対する思いはハイデガーに似ている」(戸谷)

戸谷:水野さんの中には「あとになって初めて意味がわかる。だけども、気づいた時にはもうやり直すことはできなくて、それを受けて入れるしかない」という人生観みたいなものがあって、それが『いきものがたり』の中では鮮明に表れているように感じます。

水野:点と点がつながっている感じですね。また少し根本の話に戻るんですけど、戸谷さんはなぜ哲学を語るうえでJポップを題材に選んだんですか?

戸谷:哲学というと物理学や社会学などと並ぶ1つの学問でもあるんですが、同時に自分の生き方を問い直すとか、そういう日常生活の中で営まれるような側面も持っているわけです。ですが、哲学の講座や授業では専門用語がドドドと出てきて、何を言ってるのかほとんどわからない。僕は哲学というのは本来そういうものではなく、自分の言葉で考えるべきことだと思うんです。で、自分の言葉で哲学をしていくということは、自分にとって問題であることを考えていくことでもあって、専門用語にとらわれないような哲学の在り方を考え、「若者の言葉で、ゆとり世代にとって最も親しみやすい言葉ってなんだろう」と思い、Jポップに着目したというわけです。

 Jポップというものは音楽産業の中で非常に支持を得ていて、携帯音楽プレーヤーが発達した結果、生活に根ざしたものになった。例えば部活ですごく嫌なことがあって、帰る途中に「帰りたくなったよ」を聴くというようなかたちで、自分のもやもやした気持ちに答えを見出そうとするようにもなったと思うんです。CDの売り上げだけじゃなくて、そういう多様な聴き方がされていて、若者たちのとても身近な生活の中に浸透している文化現象がJポップではないかと。演歌・クラシック・ジャズの哲学と、Jポップの哲学というのはおそらく意味が全然違っていて、Jポップを題材にして哲学をすることで若者たちの日常生活における悩みが浮かび上がってくるのではと考えました。

水野:ああ、それは面白いですね。Jポップというものが、単純に音楽の商品としてのラベルではなくて、それが社会でどう聴かれるか、どう人の生活と繋がるか。その動向すべてをJポップと表して良いんじゃないかとすら思いますし、哲学のようなものについて考える学問がJポップを分析対象にするというのはすごく正しいと感じます。「Jポップ」には商業的なイメージがつきすぎているせいか、否定的に捉えられることも多くて。そこに政治的や哲学的な考えが反映されていないと思われたりして、社会に影響をあたえないものだと誤解されている気がするんです。

 でも、僕は商業的なものだからこそ、みんなが思っている欲望や衝動を汲み取ったり、寄り添ったり、その気持ちに名前をつけてあげるのが大衆歌の役目だし、その中で生まれてくるものがJポップだと思っていて。昔を辿っていくとブルースやロックなど、ある種差別の中で生まれてきた音楽や反体制の中で生まれてきた、誰かの言いたいことを代弁してきた音楽とタイプが違うように見えて同じような構造じゃないかと感じるんです。だからこそ僕自身も惹かれているんですね、自分が孤独だと思っているんで(笑)。

戸谷:僕の理解が間違ってなければなんですけど、やっぱり水野さんがおっしゃってる作詞への思いというのは、哲学者で言うとハイデガーの思想にすごく似ているかもしれません。ハイデガーというのはドイツの哲学者なんですけど、彼は「芸術作品の使命というのは存在を開くこと」と言っていて、言葉や形にできなかったものを表現することで、本当の姿をそこに表すようなものが芸術作品なんだと。すごく安直な具体例を言うと、森の中の小屋を描いた絵があるとするじゃないですか。で、私たちはその森の中の小屋に住んだことが1回もないとしますよね。ところが、その絵画を見てなぜか懐かしいって思うことが人間にはあったりするんですよ。

水野:「ふるさと」という曲を聴いたときと同じような感じですね。うさぎを追ったことないのに、懐かしく思えるような。

戸谷:水野さんが言っていたことはそれとすごく関係していて。水野さんの人生に則して「YELL」を書いているんだけど、その曲を聴いた人たちは、楽曲を通して自分の身に起こった悲劇の意味が初めてわかるようになるというか。それは水野さんの言葉がなければあらわれることのなかった気持ちで。ハイデガーの言う芸術作品の使命を果たしているように思えるんです。

水野:それを僕ができてるかどうかはわからないですが、名前をつけることのできない感情って水みたいなものだと思うんです。例えばこのコップに入っている水をこぼすと、広がってしまって捉えようのない姿になるんですけど、コップに入れるとはっきり形になって見えるじゃないですか。芸術作品はこの感覚に近いのかなと思っていて、これがジュースだったら、いろんな色をしていて、飲むことも人にかけることもできる。

 だから、言葉を編んでいくことは歌が持つ可能性を上手く整理することなのかなあと考えたりするんですよ。坂本九さんの「上を向いて歩こう」で、上を向いて歩くことが前向きなことのように思えたように、歌が人々の考えつく方向性やベクトルを変えてしまうというか。

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戸谷:ああなるほど。他方で少し伺ってみたいのは、Jポップに対しては「大衆に迎合していて、アーティストの作家性みたいなものが犠牲になってるんじゃないか」という批判が多いですよね。でも、いきものがかりさんは多くの人に支持されながらも、水野さんの強い個性が反映されると思っていて。水野さんは実際に作詞・作曲をする際に、多くの人に受け入れられるという可能性と自己を表現することについて、どういう割合で創作をするのでしょうか。

水野:難しい質問ですね。書く時には自分というものから逃れられないし、考えてる範囲でからしかスタートできないから、作りながら「どれだけ自分と違う考えを持った人たちにどう届くか」をなるべく考えるようにしています。もうわかり合ってる人たちに対しては、歌にせずにその場で言えばいいだけなので、わかり合ってないからこそ間に歌を置くというイメージなんですよ。

戸谷:『いきものがたり』の中でも、特に「じょいふる」の制作に関するところでは「YELL」で貼られたレッテルから解放されたいという理由で「じょいふる」の制作に至ったというお話も面白かったです。この曲については、水野さんがアーティストの個性をすごく爆発させているのにもかかわらず、それが人々に支持されていくという不思議な現象が起こった例なのでは?

水野:矛盾してるものが成り立つと上手くいくというか、パーソナルなものにガーッと踏み込んで形にすると、他の人にはなかなか共有されにくいんですけど、勇気をもって踏み込んだことが評価される場合もあって。踏み込んだからこそ、誰にでも共通する寂しさや内面性というものを深掘りしていくとぶち当たる核のようなものにたどり着く。自分にしかないものだと思って掘り下げていたら、みんなが共感できる部分が出てくるんです。それがポピュラーミュージックの世界で言うと「ヒットする」ことにあたると思うんですよね。その象徴的な例が今年のRADWIMPSのような気もします。それらの例と僕はまったく逆で、とにかく自分を消そうとしながら、そのなかに出てくる個性を見つけてもらうという感じの生き方で、どっちがどう正しいかはわからないですよね。

戸谷:『いきものがたり』の中でも、リスナーとの距離感、リスナーからどう理解されるかという問題には、何度も言及されていますよね。これも水野さんが本の中で書いていましたけど、もうわかってるものには興味を示さなくて、わかりそうだけどわからないもの、そういう微妙なところに人は興味を惹かれるんじゃないかと。やはり単純に人々が求めてるものを、オーダーに合わせて与えているわけではないんだなと感じました。

水野:そこは一番解いておきたい誤解かもしれませんね。「みなさんがこういうものを欲しいと思ってるだろう、そこに合わせてるんだ。ミーハーだ」とよく言われますけど、そんな、みんなの気持ちなんてわかるわけないんですよ。だから、そのオーダーに合わせるという考えがよくわからないんです。僕は自分がつくるものにみなさんの気持ちがバーッと入り込んでくるのが良いと思っていますし、一番は巫女みたいなことを言いますが「書かされてる状態」になることじゃないかと。自分は単なる場でしかなくて、広場みたいなものだとよく言うんですけど、それが一番理想の状態なんだと考えているんですよね。で、その場が評価される必要は無いとすら思っています。どうしても商業的なものを送り出している届け手がカリスマになって、お金がすごく入っているように見えるし、世間もそういう偶像を作ったりしていますよね。でも、その偶像をなるべく排除して、世の中に転がっている気持ちが僕を通して出ていくというのが理想かもしれません。

戸谷:そういうお話を聞いてると、水野さんのようなアーティストがJポップを担っている限りは、Jポップと哲学にはすごく親和性があるんだと思います。

水野:本当だったら1990年代のように、Jポップがより社会と繋がっていた時代の方が批評・分析されるべきだったのかなと今日改めて思いました。いま、大衆音楽の力が弱まっている中で、批評や哲学がそのつなぎ目になってくれるというのが、戸谷さんの本を通じてもっと伝わるといいですね。これはもう願望でしかないですけども、僕は音楽で飯を食い始めてしまったし、いろんなものを音楽にもらったという経験があるので、そこに自分がやれることがあるならば、少しでも貢献したいんです。

戸谷:ありがとうございます。水野さんが私の本に言及してくださって、それがきっかけで私の本を読んでくださって「哲学って面白い」と思ってくださる方が結構いたことが嬉しくて。もともと哲学に関心がなかった人たちが、Jポップを介して関心を持ってくれて、自分の中に新しい問いを抱いていってくださるというのは、本当に私が一番望んでいることで。これからもJポップの世界はそうであり続けて欲しいと思います。

水野:最後に1点だけ。僕、哲学について詳しいわけじゃないんですけど、人文学系の学問っていうものが厳しい環境の中に置かれている中で、「コンテンツ」という言葉で表されるようなアウトプットはすごく盛んになっていて。みんなが漫画を描きたいと言ったり、二次創作がどんどん増えてきていて、音楽もボーカロイドが流行ったりしている。みんながアウトプットのほうに集まっていて、これから素晴らしい未来があるようにも見えるんですが、一方でそのアウトプットの前にある根本的な考え、ものをつくるときの最初の起点にあるものを扱う人たちがどんどん大事になってくると思うんです。僕らみたいなアウトプット側にいる人間はそこを詳しく知ることはできないけど、今日みたいにこの本からいろいろ知ってヒントをもらったり、「こんな考えが歴史の中ではあって、こういう整理をしてきたんだな」と知ることで考えが大きく変わってくる。戸谷さんが言ったように、哲学は生活に近いところにあった方がいいし、よりそれを調べる人が増えた方が、アウトプット側にいる人間としてはすごく助けになるというか、いろんなヒントを与えていただけるなと思うんです。

(取材・文=中村拓海)

■書籍情報
『いきものがたり』
発売中
価格:本体1,574円+税

『Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲 (講談社文庫)』
発売中
価格:本体680円+税

      
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