栗原裕一郎の『「ビートルズと日本」熱狂の記録』評:ビートルズ来日前後を追体験できる“大変な本” 

記録を根こそぎアーカイブする

 マスメディアによって記録された"事実"を掘り起こし、得られたデータを比較検討する。必要に応じて後年の資料も参照して、"事実"に対して検証や解説、注釈を加えていく。基本的にはこのプロセスの繰り返しで進んでいく。

 どんな"事実"が発掘・検証されているのか。先ほど示した期間におけるビートルズ現象について、マスメディアが残した"事実"はほぼすべて網羅されているといってよいと思う。それこそデマや風説の類やレコード発売日といった些事から、ビートルズ現象の頂点である来日公演に関する全体像まで、記録として残っているものは根こそぎアーカイブされているようだ。

 レコード発売日なんて、調べるまでもなく確かなデータが整っているだろうと思いきや、そうでもないのだ。

 たとえばビートルズの日本デビューに関して、「プリーズ・プリーズ・ミー」と「抱きしめたい」、どちらが先にシングルとしてリリースされたか、という問題がある。研究され尽くしているように見えるビートルズなのに、この程度のことも実ははっきりしていないのである。

 定説となっているのは、東芝音工は当初「プリーズ・プリーズ・ミー」を第1弾に予定していたが、アメリカのキャピトルが「抱きしめたい」を第1弾シングルとして発売したため、日本もそれにあわせて急遽「抱きしめたい」をリリースしたというものだ。担当ディレクターであった高嶋弘之の証言もある。

 だが、当時の新聞雑誌には、発売後の記事にも「プリーズ・プリーズ・ミー」を第1弾としているものが複数あるのだ。発売日に関しても記載にズレがあり、いくつかの仮説が成立してしまうのだが、それらの説のどれが正しいのか、資料からだけでは裏づけることができない!

 1964年2月5日に「抱きしめたい」が第1弾として発売され、3月5日に「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されたというのがこれまでは定説で、本書も「抱きしめたい」については2月5日説を採っている。しかし「プリーズ・プリーズ・ミー」3月5日説は、資料から明らかに誤りであるという。

 発売中止になった『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ』も不確定な要素を残すレコードである。ビートルズ来日を見込んで企画された日本独自編集のベスト盤で、テスト盤が数枚現存するのだが、79年にビートルズ研究家の故・香月利一が明らかにするまで、このベスト盤は存在すら知られていなかった。

 ビートルズの来日は66年6月。そのためこのベスト盤の企画が立ち発売中止になったのも66年のことだと思われているのだが、それは事実と異なることが示されている。

 企画が動き出したのは64年の暮れで、招聘の交渉が難航するのと連動してこのベスト盤も紆余曲折をたどり、1年半のすったもんだの末に発売中止となった。実際には1年半におよんだ経緯が、66年の来日にまつわる一時のこととして記憶されてしまっているのだ。いわば「記憶の圧縮」である。

 逆に「記憶の拡散」と呼べそうな事象もあって、ビートルズ映画に熱狂した女性ファンがスクリーンに駆け寄ったり破ったりすることが頻繁に起こったように語られるけれど、そんな事件は実はごくわずかしかなかったことが報道を見ていくとわかる。

 ビートルズ来日交渉のディテールや、武道館使用をめぐる攻防戦、来日から離日するまでのてんやわんや、武道館ライブの詳細、ファンたちの動向およびそれに対するホテル側や警察の警備、メンバーたちの動向、メディアの動向、TV放映権を争って起こったいざこざ、チケットの取り扱われ方やチケットをめぐって起こったトラブルなどなどについては、本書のメインといっていい部分であり、特に念入りに検証されている印象である。

 トリビア的知識を仕入れるのにも事欠かない。右翼が執拗にビートルズ来日を阻止しようとしていたこととか、細川隆元・小汀利得(ともに政治評論家)といった偏屈ジジイがくどくどとビートルズをバッシングしていて、それが時の佐藤栄作首相にまで影響を及ぼしていたこととか。

 ビートルズ来日公演とたまたま同じ日程でリサイタルを開く予定だった舟木一夫や朝丘雪路に目をつけて、各マスコミがこぞって対立の構図をでっち上げるなんてこともやられていた。

「舟木一夫がビートルズと正面衝突! "運命の日"に開く初リサイタルの強気と弱気」(『週刊明星』)
「くたばれビートルズ 負けるな、朝丘と舟木 同日出演 リサイタルの前売り好調」(『東京中日新聞』)

 などなど。

 ビートルズ来日騒動直後に岡本喜八が『幸(しあわせ)コメディ キノコの戦い』というTVドラマの脚本を書いていたというのも初めて知った。ググってもヒットゼロである。これは見たい。

「生田大作(伊藤〔雄之助〕)は元軍人で人生は敗戦とともに終わってしまったと思い込んでいる。ある日、大作は妻の松江(丹阿弥〔谷津子〕)と娘のあゆみ(沢ひろこ)が、ビートルズがやってきたとわめいているのをみて、人生にとり残されていくのを感じ、ビートルズのボデーガードになる決心をして家を出る……」

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「音楽雑誌・書籍レビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる