ザ・ブルーハーツはいかにして時代を変えたか? 元ドラマー梶原徹也が語るバンドブーム前夜

「70年代後期のパンクの登場以降は、自分たちのロックンロールが出てきた感じがあった」

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――結果的には、今に至るまで音楽シーンにおいてのブルーハーツの存在は大きいもので、解散後も大きな影響力を持っていますよね。

梶原:それはあとから言われて「そうだったのか」くらいの感じなんですよ。当時は毎日、毎日ツアーで、その間にレコーディングをしてというものだったから。毎日、全力投球で。もちろんお客さんがいてくださったから、武道館や代々木のオリンピックプールでライブができたんですけども。それがどれくらいの影響力を持って、社会的にどう繋がっていくのかは、その時は考えたこともなかったですね。解散から20年経っても、いまだにこうして話をしてくださるというのは、不思議というかありがたいというかね。

――当時、ロックもパンクも、ポップスも、百花繚乱の芳醇な時代だったと思います。それだけに、はちゃめちゃな感じもあったんですか。

梶原:確かに、はちゃめちゃな人たちはいましたけどね(笑)。でも僕らはアスリートみたいだったから、もうライブが終わるとクタクタで。当時は、大きなバスに乗って何バンドかでツアーをすることも多かったんですけど、一緒になったバンドとも、ホテルで部屋飲みをしていることが多かったですね。よく一緒にライブに出ていたのは事務所が一緒だったこともあってECHOES、あとはRED WARRIORS、UP-BEATやラフィンノーズ。その上の世代となると、頭の上がらない方たちがいっぱいいます(笑)。

――先輩方と一緒になるときには、音楽の話もされたのでしょうか?

梶原:ドラムの話はよく訊きました。 RCサクセションの新井田耕造さんに、「あのアルバムは一発で録ったんですか」とか。 「リズムボックスは使わずに録った」と言われて、あんなに正確なリズムを生で録ったのかとガツンとやられたりね。あとはライブハウスでやっている頃のBOØWYを知っていたので、高橋まことさんにお会いした時、「あの時のドラムセット、面白かったですよね」と言ったら、いろいろと話してくれたりして。そういえば、ブルーハーツ時代は黒のタンクトップが僕のトレードマークでしたけど、あれはパンク・ドラマーの脈々とした歴史があって。アナーキーの小林(高夫)さん、ARBのKEITHさん、高橋まことさんも黒のタンクトップだったんです。僕も、その系譜に入れさせていただきました(笑)。

――80年代という時代、ブルーハーツで過ごした時代をどう振り返りますか。

梶原:70年代後期のパンクの登場から、メジャー・デビューをするかしないかあたりまでは、「時代が変わるぞ」というか、自分たちのロックンロールが出てきた感じがありましたね。やんちゃで、いい意味でライブハウスで暴れまわっている人たちがいっぱいいたんです。もう、なんでもありでしたね。たとえば、ハナタラシや非常階段とか、いきつくところまでいっちゃった人たちがいたり。ハードコアバンドで言えば、GHOULやG.I.S.M.とかLip Creamとか、かっこいいバンドがいて。表現方法は違ったとしても、今も元気でやっている人たちもいるんです。今のBRAHMANにしても、そういったハードコアのバンドが大好きで、脈々と繋がっている部分もある。そういう意味では、エネルギーがあった楽しい時代でしたね。

【続きは書籍でお楽しみください】

(取材・文=吉羽さおり)

■梶原徹也(元ザ・ブルーハーツ)
1963年、福岡生まれ。ドラマー。大学時代、ライブハウスのアルバイトでザ・ ブルーハーツと出会い、1986年4月に正式加入。モヒカンと黒のタンクトップをトレードマークに、パワフルな演奏で人気を博す。解散後はThe 3peace、THE BIG HIPなどを経て、ソロユニット「THUNDERBEAT」を始動。現在はサルサガムテープ、太陽ドラムでも活動し、社会貢献活動も積極的に行っている。

■鼓童 最新作「混沌」
12月19日(土)、23日(水)
東京/文京シビックホール
太鼓芸能集団 “鼓童” のツアーが、 佐渡島公演を皮切りに全国11会場にて開催中。

芸術監督/坂東玉三郎
ドラム監修/梶原徹也
Infomation 鼓童 0259-86-3630
https://www.kodo.or.jp/

■リリース情報
『私たちが熱狂した 80年代ジャパニーズロック』
発売:12月14日(月)
価格:¥1,296

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