米米CLUBの功績を今こそ振り返る エンタメ性と音楽的探求はどう共存してきたか

<中期>“米米=88” 末広がりの8人編成期

 88年汐留PITにて行われた<輝け!米米CLUB大全集>を以て、博多とダンサーチーム“シュークリームシュ”のスウィートシューこと、サトミが卒業。2人になったシュークが米米の正式メンバーとなり、米米CLUBは8人編成となる(8人で8周年を迎えた93年に8角形の日本武道館で8日間ライブを開催した)。結成当初よりサウンドの要であったホーンセクション“ビッグホーンズ”改め、“BIG HORNS BEE”が今まで以上に彩りを与えていく。そして、「KOME KOME WAR」(1988年)、「FUNK FUJIYAMA」(1989年)がチャートを賑わし、石井が監督を務めた両曲のビデオクリップが、米MTV Video Music Awards “International Video Award”で2年連続グランプリを受賞。名実ともに米米CLUBの「アート+音楽」というイメージが定着した。

 『GO FUNK』(1988年)は音楽評論家でもある萩原健太をプロデューサーに迎えて制作され、米米のエンタメ性とバンドらしさを凝縮した内容になった。『5 1/2』(1989年)では、石井の聴かせるポップス、小野田のゴージャスなファンク、シュークのかわいい曲、といった彼らならではのレパートリーを確立する。

 そして、米米のエポックといえるのが過去曲のリメイクを中心に構成された『K2C』(1991年)だ。再生した途端数秒で解る圧倒的な“音の良さ”でただならぬこのアルバムの意味が解るはず。「今までのアルバムではアレンジやメロディーをいじられたりして悔しい思いをした」とメンバー自身が語っていたように、「sûre danse」を原曲の構成とメロディに(95年リリースのベスト『DECADE』に「元祖 sûre danse」が収録されているが、『K2C』のほうが原曲に近い)、「Paradise」は原詞(シングルリリース時、皮肉を込めてB面に「Parodise」というおふざけバージョンを収録)へと、本来のあるべき姿に戻されている。1曲目の「I・CAN・BE」は大人びた雰囲気へ「KOME KOME WAR」はよりアグレッブなアレンジを施すなど、安易にリメイクベストという言葉じゃ片付けられない、バンドとしての成熟を見せたアルバムである。

 今やCD販売形態のスタンダードになっている「初回限定盤」は米米CLUBが先駆者であることは間違いないだろう。CD、LP、カセットテープと3つのメディアが混在してリリースされていたこの時期、メディア遷移を促すようにCDのみ特殊パッケージが用いられた。『GO FUNK』は豪華写真集、『5 1/2』はポケットチーフ同梱BOX、『K2C』は8cmシングル付きという当時としては画期的な仕様だった。

米米CLUB オリジナルアルバム全16タイトル再発 特典映像ダイジェスト(2)

お米の真髄“ソーリー曲”

 米米には音源化されていない(できない)楽曲も数多く存在している。その代表が、“ソーリー曲”(本来は“ウンコ曲”と呼ばれていた)と呼ばれる二枚目路線と対極を成す“三の線”の曲だ。“米”というシュールなワードを元にした「私こしひかり」「奥さん米屋です」「農林28号」といった楽曲がバンドの発端であり、むしろこちらが真髄でもある。ジャンル無双、めちゃくちゃな楽曲展開、露骨なパロディから、ブラックジョーク、卑猥な下ネタにいたるまで、普通のアーティストなら怖くて踏み込めないところまで土足で踏み散らかしている。そんな迷曲の数々は“米米の下半身”といわれた『米米CLUB』(1991年)と『SORRY MUSIC ENTERTAINMENT』(1995年)に集約されているが、これでもまだ一端にすぎないことが恐ろしい。バラエティ番組仕立ての衝撃的問題作『米米TV ONODA-SAN』(1987年)という映像作品もあったが、一度も再販・DVD化されていないのは、その過激すぎる内容に問題があるのだろう…。

<後期>“イロモノ”から“国民的”バンドへ

 1985年のメジャー契約時、事務所に所属することを条件とされたメンバーは、自ら「株式会社シャリシャリズム」を設立し、“企画集団”として活動していく方針を打ち出す。80年代的サブカルチャーともいえる“冗談”と“パロディ”が基盤であり、「演っている本人たちが楽しむためのエンターテインメント」で観る者を巻き込んでいく。そのインパクトから「謎のパフォーマンス集団」「ハクション大魔王とデヴィッド・シルヴィアンがいるバンド」などとも言われた。

 「浪漫飛行」(1990年)の累計170万枚に続いて、「君がいるだけで」(1992年)は累計289.5万枚という巨大ヒットを生み、かつて“イロモノ”と呼ばれた企画集団は国民的バンドになった(この数字は「およげ!たいやきくん」457.7万枚、宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」325.6万に次ぐ、史上3番目の売上枚数であり、2000年リリースのサザンオールスターズ「TSUNAMI」293.5万枚に抜かれるまで「日本で一番売れたバンド」だった)。同曲は「バンド内恋愛御法度」を乗り越えて結ばれたフラッシュ金子(Sax, Key 他)と石井の実妹であるシュークのMINAKOを祝福する楽曲でもあり、『Octave』(1992年)は“石井竜也プロデュース”の下、「愛と祝福」をテーマに掲げた、いわばコンセプトアルバムでもある。

米米CLUB オリジナルアルバム全16タイトル再発 特典映像ダイジェスト(3)

 しかし、この巨大ヒットによる代償は大きかった。メンバー自身「売れすぎちゃった曲」と、ライブでは生演奏ではなくカラオケでふざけて歌う茶化しも行われていたが、人気とともに膨大になっていく舞台美術と衣装、サポートと正式の枠を無くしたメンバー増員、小野田のファンクより石井のファンタジー色の強いポップスに比重を置くなど、初期の卑屈で皮肉なナルシスさや毒々しさは薄れ、古くからのファンを困惑させた。アートと演出が織りなす空間総芸術のエンターテインメントショーは「日本で最も楽しいライブ」と評された反面、期待が先行するパブリックイメージが誇大化し、本来の“米米らしさ”がねじ曲がって広まってしまったことも否めない。そして、石井の映画監督などの個人活動は、キザで胡散臭い“テッペイちゃん”から、才のある文化人としての“石井竜也”の印象を強くした。結果、95年には一枚岩とも思われたデビュー当時からのメンバー、ジョプリン得能(Gt)、RYO-J(Dr)の脱退、翌96年にはシュークリームシュの解散。そして同年11月、ついに米米CLUBは解散発表する。

米米CLUB オリジナルアルバム全16タイトル再発 特典映像ダイジェスト(4)

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