松尾潔が明かす、R&Bの歴史を“メロウ”に語る理由「偶然見つけたその人の真実も尊重したい」

松尾潔がR&Bの歴史を“メロウ”に語る理由

R&Bが語られてこなかった理由

――この2冊は、R&Bシーンについてのジャーナリスティックな記録であると同時に、R&Bの歴史を叙述した本でもあると言えると思いますが、日本ではこれまでR&Bに関する書籍って少なかったですよね。R&Bに関する言説自体が少ない。

松尾:その理由は簡単だと思います。ジャズやロックに関しては長い歴史があり、「あの人はジャジーだね」とか「あの人はロックな人だから」などの言葉でキャラクターを定義できますが、R&Bについては、その人のキャラクターを表す言葉になりえないところがあると思うんです。アメリカではR&Bと言えばもはや「黒人の歌もの」というイメージしかないでしょう。「R&B」という言葉自体は、その中に「ファンク」や「ソウル」なども含まれてくる総称なんですよね。だからR&Bをジャンルと捉えて語っても、エモーショナルな内容にはなかなかならないんですよ。

――概念について語る体になってしまう……。

松尾:そういうことです。ぼくは80年代の終わり頃から学生ライターとしてR&Bに関わってきましたが、当時の日本では「R&B」という言葉を使う人はまだ少なくて、「ブラック・ミュージック」という呼称が使われていたものです。

――当時は「ブラコン(ブラック・コンテンポラリー)」って言われていましたね。

松尾:「ブラコン」には揶揄のニュアンスも入っていますね(笑)。

――ボビー・ブラウンの『Don't Be Cruel』が88年に大ヒットして、「ボビ男」と呼ばれる若いのが現れてきます。ちょうどその頃、菊池桃子が突如ラ・ムーというバンドを結成し「ロック・バンドです」とアナウンスして物議を醸しましたが、ラ・ムーって今聴くとファンクなんですよね。

松尾:ラ・ムー! 覚えてます。「ロック」でいうと、マイケルが亡くなったときにも「ロック歌手のマイケル・ジャクソンさん」という紹介をされていました。

――久保田利伸さんが86年にデビューしていたのに、ラ・ムーについて、当事者も批判する側もどちらも「ロックだ」「ロックじゃない」と言い合っていたという。そのへんに日本におけるR&B受容の混乱が象徴されていたのかもなあと最近考えるんですよね。

松尾:ロックではない何か、という程度の認識だったんですね。なぜR&Bが語られることがなかったか、それはつまり、語られるべき対象と見なされていなかったということに尽きると思います。

――菊地さんと大谷さんの、マイルス・デイヴィスの再評価をはじめとする一連のジャズ・レコンキスタで、30年くらい時間が止まっていた日本のジャズ批評が再起動したわけですよね。大和田&長谷川の『文化系のためのヒップホップ入門』もその流れの上にあると思います。

 そこに今回、松尾さんの本が出たことで、日本のブラック・ミュージック受容に長らく空いていたブランクがだいぶ埋まったんじゃないかと思いました。

松尾:R&Bはもともと夜の遊び場と密着していたので、語られなかったというよりは語るのが野暮とされていたかもしれません。

 たとえば「今回のアルバムはドライブのBGMにぴったり」という評価は、ロックだとディスるのに近いニュアンスがあるかもしれません。でもR&Bの場合は最高の褒め言葉のひとつなんですよ。機能性が重視される音楽なので。海外の人と話しているとよく聞く言葉に、「dine with wine」というのがあります。つまりR&Bはワインつきのディナーを食べるときなど、ちょっとおめかししたようなシチュエーションに似合う音楽だということです。

 ぼくとしては「芳香剤のような」という表現を採りたい。音楽がちょっと上質な雰囲気を演出するという意味です。ボビー・ブラウンの「Rock Wit'cha」に<Let's hear some Marvin Gaye>というフレーズがあります。<マーヴィン・ゲイでも一緒に聴こう>というのは、「アロマを炊くから一緒にくつろごう」というのとまったく一緒なんですね。機能性食品があるように、雰囲気作りのための「機能性音楽」というものもあるんです。

――リスナーが精神性を仮託したり、アート性を期待するような音楽ではないということですね。

松尾:今でこそいろいろなジャケットがありますけど、R&Bのアルバムって、80年代くらいまでは同じような構図のジャケットばかりだったんですよ。

 アイズレー・ブラザーズは、ファンクの世界では大物中の大物なのに一般的な知名度がほとんどなかったんですが、それはアルバムジャケットにも一因があると思います。カジノテーブルを前にメンバーがにこやかに並んでいる写真を見て(『The Real Deal』)、誰が自分の大切な青春を賭けようという気持ちになるでしょうか(笑)。

 ぼくはそういうナイトライフが楽しそうだと思ってお客さんになってしまったクチで。R&Bファンというのは大体似たような嗜好のお客さんばかりなんですが、その中にたまたま書いたり語ったりするのが好きなのがいたというだけなんですよね。突然変異です。アメリカ黒人音楽でもジャズやブルースはまた違いますけど。

――コルトレーンが深刻に受け止められたのは、ジャケットのコルトレーンが深刻そうに見えたからだという説を聞いたことがあります。『Blue Train』のジャケ、あれ実はアメしゃぶってるんだけど、とか(笑)。

松尾:マーヴィン・ゲイがR&Bの世界で別格視されていることの背景には、『What's Going On』のアルバムジャケが、雨に打たれて思索に耽るような表情だったことも影響していると思います。それくらいジャケットの影響というのは大きいんですね。

――そうは言っても、先ほどおっしゃったように、書き残さなければいけないという使命感もあったわけですよね。

松尾:いろいろな人から煽られているうちにというのもあるんですが、40歳を過ぎたこと、それから震災後にふたりの子供を授かったことが大きかったですね。読み捨てられる雑誌のようなものでいいと考えていたのが、タイムレスという考え方へ移っていったのは明らかに子供が生まれた影響です。

 そもそも「時を超えて残るもの」という考え方は、商業音楽を作る立場としては不潔だと思っていました。でもタイムリーであることを一義として世の中に送り出した「商品」でも、ものによっては未来へ残っていく「作品」になるということが、プロデューサーとして仕事をするうちに実感としてつかめてきたんですね。自分自身も、流行として生み出された音楽を20年、30年と聴き続けているわけですから。

――歌謡曲も聴き捨てられるものとして作られて、長らく低俗だと蔑まれてきたわけですが、残るものはちゃんと残ってますからね。大衆文化というのはそういうものですよね。その一方で、残るべきものであるという理念で書かれたはずの純文学なんかのほうが意外と残らなかったりする。戦後派文学なんてもはやほとんど読まれていないし、書店でも手に入らないです。

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