『スマスマ』はなぜ20年も愛され続ける? 太田省一がSMAP流エンタメの特性を読み解く

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(C)タナカケンイチ

 20年目に入った『SMAP×SMAP』(『スマスマ』)が始まったのが1996年4月15日のこと。同じフジテレビで奇しくも同じ日に木村拓哉主演のドラマ『ロングバケーション』(『ロンバケ』)が「月9」枠で始まったことは、おそらく知る人ぞ知る話だろう。

 この1996年には、『ウッチャンナンチャンのウリナリ』(日本テレビ系)(『ウリナリ』)や『めちゃ²イケてるッ!-What A COOL we are!-』(フジテレビ系)(『めちゃイケ』)といったバラエティ番組も始まっている。ともに当初はコントのパートも多かったが、『ウリナリ』は「社交ダンス部」、『めちゃイケ』は「オファーシリーズ」が人気企画になるとともに、ドキュメンタリー的な要素を強めていった。この二番組に限らず、1990年代は、『進め!電波少年』(日本テレビ系)などバラエティのドキュメンタリー的演出が主流になり始めた時期でもあった。

 それに対し、『スマスマ』の基本は、開始当初からずっと変わっていない。「BISTRO SMAP」と歌のコーナー、それに各メンバーがさまざまなキャラクターに扮するコント、という構成だ。つまり、トークに音楽、そして作りこまれた笑いである。

 こうした多彩なエンターテインメントが次々と展開されていく構成は、まだテレビの草創期に出来上がった伝統的なバラエティのスタイルだ。そのスタイルは、1960年代初頭の『夢であいましょう』(NHK)や『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系)などによって定着した。それから50年余りが経つわけだが、『スマスマ』は、そんなバラエティの王道スタイルを継承する今やほとんど唯一の番組と言ってもいい。コントなど笑いの部分だけでなく、歌のコーナーでの音楽番組に劣らないくらいに力の入ったセットや演出、そしてパフォーマンスをとってみても、そのことはよくわかるだろう。

 『シャボン玉ホリデー』のメインは、ハナ肇とクレージーキャッツであった。メンバーの植木等や谷啓が「お呼びでない?」「ガチョーン」などのギャグを流行らせ、一世を風靡したことでも有名だ。そしてジャニーズ事務所は、SMAPをバラエティに本格進出させるにあたって、このクレージーキャッツをモデルに考えていたとされる(佐藤義和「私のテレビ史31」https://www.facebook.com/photo.php?fbid=656123384430533)。ともに音楽の世界から笑いの分野に進出するという共通点が、ジャニーズのそうした構想を生んだのかもしれない。

 だが『スマスマ』には、忘れてはならないもう一つの側面がある。SMAPがアイドルだということである。クレージーキャッツは、すぐれたミュージシャン、才能あふれるタレントの集まりだったが、今で言うアイドルではなかった。

 アイドルとは何か? ここで私が思い浮かべるのは、かつて『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)で「プロフェッショナルとは」と問われた際に中居正広が答えた「一流の素人」という言葉である。それを“常に発展途上にある未完の存在”と解釈することもできるだろう。そして『スマスマ』は、バラエティの王道を行く番組であるだけでなく、番組開始当初から今まで、SMAPという未完のストーリーが私たちの眼前で繰り広げられる場所でもあった。

 そのストーリーの始まりは、冒頭にも書いた『スマスマ』と『ロンバケ』の同日スタートである。木村拓哉はその時すでに注目を集める存在ではあったが、連ドラ初主演となったこの『ロンバケ』の成功によってその人気は不動のものになった。この二つの番組が同時進行していくさまは、個々のメンバーそれぞれの活躍がグループにも相乗効果をもたらすという、SMAPの現在のあり方を予告するような出来事だった。

 ところが番組開始わずか1カ月、大きな衝撃がSMAPを襲う。メンバーのひとり森且行が、かねての念願であったオートレースの選手になるためにグループを脱退、芸能界からも引退したのである。森の『スマスマ』最後の出演は、1996年5月27日。その日の歌のコーナーは、森選曲によるSMAPメドレーであった。

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