失われつつある「邦題ワールド」の愉悦 市川哲史が洋楽全盛期の名作・珍作を振り返る

 にしてもピンク・フロイドの邦題には、波瀾万丈の人間模様が見える。

 『夜明けの口笛吹き』『神秘』『原子心母』『おせっかい』『雲の影』『狂気』『ピンク・フロイドの道』の東芝時代は、担当のアイ氏の美意識が全開だった。ヨーロピアン・ダンディズムを大和魂で凌駕しようとしてた人で、「鎌倉の若武者こそ日本のデカダンス」との自論も印象的だ。彼の作風によって以降、〈ピンク・フロイドの邦題は文学的かつ観念的であるべし〉なる不文律が業界で囁かれる。

 ちなみにアイ氏の自信作は『原子心母』『雲の影』『狂気』で、後悔しているのは『おせっかい』らしい。最初はカヴァー写真まんまの『耳の穴』にしようとしたものの、あまりのアヴァンギャルドさに負け『MEDDLE』の直訳にした自分の弱さを悔やんでいた。なおシド・バレットのソロ『帽子が笑う…不気味に』『その名はバレット』は、問答無用の失敗作なのだそうだ。

 CBSソニー移籍第1弾『WISH YOU WERE HERE』は、言うまでもなく表1で燃えてる男の写真から直球の『炎』。実は東芝時代の奔放過ぎる邦題を憂えたバンドから「意訳するな」と『あなたがここにいてほしい』と指定されたものの、サブタイトルでお茶を濁したソニーはなかなかしぶとい。

 しかしその後は『アニマルズ』『ザ・ウォール』『ファイナル・カット』と、素直にカタカナ邦題に。『鳥獣戯画』『壁』『致命傷』でもいいのに。それでも『ファイナル~』担当ケイ氏の意地なのかなんなのか、81年発表のベスト盤『A COLLECTION OF GREAT DANCE SONGS』には久々の邦題がつく。

 リリース当時はMTVやらニューロマやらの登場で、猫も杓子も「レッツ・ダンス」とダンスフロアで群れてた時代。それだけに明らかにダンスとは無縁の、フロイドならではの皮肉が原題で炸裂している。ヒプノシスも「踊れるもんなら踊ってみんかい!」と、カヴァー・アートでダンサーを大地に紐で縛りつけた。なので『時空の舞踏』……惜しいような全然惜しくないような。だはは。

 それでもロジャー・ウォーターズ脱退を経てフロイドが再始動すると、ソニーも日本語タイトル路線に舵を切った。

 飄々とした新担当・ユー氏は復活第1弾『A MOMENTARY LASPE OF REASON』に、一時的な理性喪失状態を指す原題ママの直訳邦題で『理性喪失』を思いつく。

「直訳にして観念性も内包してるし、東芝時代の流儀の80年代解釈でよくないですか」

 そんな自画自賛の自信作も、「やっぱ1文字だろぉピンク・フロイドはさー」との上司・エヌ氏の一言であえなくボツに。やむなく、海岸の砂浜に700台以上ものベッドを実際に並べたカヴァーデザインの気持ち悪さを踏まえて、『鬱』に落ち着いた。収録曲も「現実との差異」「抹消神経の凍結」など面倒な邦題が並ぶ中で、「Sorrow」は「時のない世界」と綴られている。(※2)

「僕が大学時代に組んでたアマチュアバンドの、オリジナル曲のタイトルをそのまま付けてやりました(爆復讐笑)」

 その後も歴代担当者は1文字の呪縛に苛まれ、エス氏はジャケの電球男からライヴ盤『DELICATE SOUND OF THUNDER』を『光~PERFECT LIVE!』(←エグザイルかよ)、エスⅡ氏(※3)はあの一対の巨大な彫刻から『THE DIVISION BELL』を『対/TSUI』としたようだ。

なんかこういう馬鹿馬鹿しいまでの血脈を、素敵だと思う自分が愛おしい。

 一緒に地方観戦にまで何度も出かけてた私のプロレス仲間のエム氏が1992年、ロジャー・ウォーターズの担当Dになった。彼が愛するのはストーンズや猪木であって、ピンク・フロイドのピの字にすら反応しない。だが仕事だ。ウォーターズ入魂の3rdアルバム『AMUSED TO DEATH』を、彼はこう命名した。

 『死滅遊戯』。

 ブルース・リーかよ。

※1:画像検索して、ピンク・フロイドのジャケ写を眺めながらお読みください。

※2:2009年以降、『A MOMENTARY LASPE OF REASON』の邦題も『鬱』から『モメンタリー・ラプス・オブ・リーズン』に変更されてるそうです。うーん。

※3:実在する人物のプライバシーを鑑み、カタカナでイニシャル表記をしたところ星新一になってしまいました(失笑)。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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