ロビン・シックとファレルの盗作裁判を弁護士が再検証 なぜ「曲の感じ」に著作権が認められたか?

 そもそも、ある曲が別の曲の著作権を侵害している、盗作だというのは、法的にはどういうことだろうか。法律自体に規定があるわけではないので、具体的な裁判例の中から見ていくしかない。

 日本では、そもそも裁判になった例自体が少ないが、その中でも代表例と言われているのが、平成14年に判決が出た「どこまでも行こう事件」だ。

 これは、TV番組『あっぱれさんま大先生』で使われた平成4年発表の「記念樹」という曲が、昭和41年発表のブリヂストンCMソング「どこまでも行こう」の盗作だとして作曲者同士が争った事件で、600万円の損害賠償が認められている。

 この事件の判決文で目を引くのは、2つの曲が似ているか判断する上で、音楽はメロディー、リズム、ハーモニー(旋律)といった要素によって構成されるが、その中でも「少なくとも旋律を有する通常の楽曲に関する限り、……相対的に重視されるべき要素として主要な地位を占めるのは、旋律である」として、メロディーを判断の中心に置いている点だ。そして、メロディーが似ているか判断する上で、2曲を同じハ長調に移調し小節の長さを調整した上で、楽譜を並べ、音符がどれだけ一致するか数え上げることまでしている(約72%が一致した)。日本のポップミュージックが海外に比べメロディー中心だということはよく指摘されるが、この判決はまさに日本的な判断方法を採用していると言えるかもしれない。

 それに比べて、アメリカではリズムやグルーヴが重視されることの反映が今回の裁判結果だ、と言うことなら分かりやすいが、話はそこまで単純でもない。

 アメリカでは長い間、音楽の著作権の対象は「楽譜」に限られていた。1710年にはじめて著作権法が制定されたとき、著作権とは出版社の印刷物を保護する権利だった。1831年になって音楽も保護対象に加わったが、その対象はあくまで「紙に書かれたもの」、つまりは楽譜であり、著作権者は楽譜出版社だった。著作権とは要は、出版社が楽譜を出版する権利を保護するものだったのだ。日本とは法律の構成自体が異なるが、アメリカでいわゆるサウンド・レコーディング、録音された音楽自体がミュージシャンの著作権の保護対象とされたのは、1976年の著作権法改正からだ。カセットテープの普及を背景とした海賊版の脅威への対策という面があったらしい。

 この歴史的経緯は、実は今回の裁判と大いに関係がある。

 アメリカ著作権法が改正されたのが1976年で、「Got to Give It Up」の発表が1977年。でも、改正された法が実際に施行されたのは1978年。つまり、「Got to Give It Up」発表時点ではサウンド・レコーディング自体はぎりぎり著作権の保護対象になっていない。「Got to Give It Up」の場合はそれ以前の法律にのっとり、マーヴィン・ゲイの遺族が権利を持っているのは基本的に楽譜に限られる。だから、裁判の場でも、楽譜同士を比べて著作権が侵害されているか判断すべきだ。シック/ファレル側の弁護士は法廷でそう主張した。この主張を突き詰めると、一致する音符の数を数え上げる「どこまでも行こう事件」方式の判断方法がふさわしいということになるだろうし、そうやって比べていれば、結果は違っていただろう。

 しかし、勝ったのはマーヴィン・ゲイの遺族だった。

 何が勝因だったのか。

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