MAN WITH A MISSIONの異色スプリット盤の意義と、『マッドマックス』ED曲起用について考える

 そう。既にネット上などでは『マッドマックス』の旧来のファンから非難囂々の今回の日本版エンディングソング。この場合、その曲がどんな曲であるかはまったく関係ないので賛否両論にさえなりません。彼らはただ、オリジナルのかたちで作品を楽しみたいのです。なにしろ30年も待っていた新作なのですから(ちなみにIMAX 3D上映館でのみオリジナルのエンディングで上映されますよ)。一方、映画の配給会社としては普段あまり洋画を観ない層の観客にもアピールするために日本版エンディングソングをつけたり、タレントに吹替をオファーしたりするわけです。一般的にこういうケースの場合、それによって作品のクオリティが損なわれることは考慮されません。何故ならその目的は、劇場で上映される作品のためではなく、その前段階、劇場に足を運ばせるためにあるからです。言うまでもなく、このような仕掛けをすることで作品は情報番組/ワイドショー/音楽番組などで取り上げられる機会が増えます。以前、エンディングソングについて映画会社の人に直接訊いた話で「なるほどなー」と思ったのは、洋画に日本独自で人気アーティストの曲をつけるのは「15秒、30秒のテレビCMの短い尺で、曲とともに視聴者に強く印象づけるため」という話。『マッドマックス』くらいの大作になると、公開前には大量のCMが流されます。具体的な数字はエグいので避けますが、そもそも大作の宣伝費の大部分はテレビCMの広告費に消えていきます(もっと言うなら、テレビ局製作映画はそこを極端に節約できるわけです。ズルいよね)。そう考えると、かなり重要な宣伝ツールですよね。実はアメリカでも近年、映画の本編で使われていない有名曲を予告編/テレビCMで使うことが増えているんですよ。

 作品至上主義とマーケティング論。この二つが相容れるわけがありません。この議論はどこまでいっても平行線なわけです。強いて言うなら、日本の若い世代における洋画離れ(まぁ、そこにもテレビ局製作映画によるパブリシティ独占問題がかかわってくるんですけど)が招いた事態なわけで、自分としては「みんなもっと洋画を観ようぜ」としか言いようがありません。以前よくあったような「日本版テーマソング(本編では使われず宣伝のみで使われるやつ)ってことでいいじゃん」とも思うのですが、きっと近年それが減ってきたのにも理由があるんですよ。テーマソングだとアーティストサイドのプライドが満たされないとか、そのアーティストのファンから「本編で使われてない!」とクレームがくるとか……。

 マンウィズの名誉のために言っておくと、実際に彼らは『マッドマックス』の熱心なファンだし、「Out of Control」はいい曲だし、アテ書きされた曲じゃないのに作品の世界観を損ねてもいないし、そもそも今回の起用に関しては彼らの意図を超えた場所で決まったことだということ。ただ、今回の件で一つ誤算があったとしたら、おそらくはすべての人の完成前の想像を超えて『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が傑作だということ。いや、傑作なんて言葉じゃ足りないな。マジに、今回の『マッドマックス』はあまりにもぶっ飛んだ歴史的傑作なんですよ。そして、映画史に残るような正真正銘の傑作はいかなるポップソングも必要としないものなのです。

■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「チャート一刀両断!」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる