『LUNATIC FEST.』が蘇らせる、90年代V系遺産 市川哲史が当時の秘話を明かす

 最終的には、V系怪獣の渋谷系少年カツアゲ現場写真の表紙が世間を震撼させたhide VS 小山田圭吾対談まで発展したのだけど、こうしたバンド同士の交流が生まれることで、ロックがポップカルチャーとして成熟し始めたと言える。

 自分の推しV系バンド以外は無関心だったファンは外にも目を向け始め、アーティストはアーティストで自分のバンド以外の現場に参加するようになった。

 当時私は、<国産デカダンスの始祖鳥>デルジベット・ISSAYのソロアルバム『Flowers』と、<憧れの現実逃避ロック>JAPANのトリビュートアルバム『LIFE IN TOKYO』をプロデュースした。両者ともBTやX、LUNA SEAからマッドに黒夢まで、V系界隈の豪華ミュージシャンたちがこぞって参加してくれたこと自体が画期的で、特に後者は日本初のトリビュート盤で日本レコード大賞企画賞まで貰ったはずだ。たしか。

 元々洋楽畑の私が邦ロック評論を始めていちばん驚いたのは、新作のリリース日とレコーディング日程と曲作りの締切が設定されないと曲を書かないアーティストがほとんど、という表現衝動の貧困さだった。部品の納期かよ。

 ところが同じ<V系括り>でも、パンク・メタル・テクノ・ニューウェイヴ・ゴス・英・米・日など音楽的氏素性が異なる輩同士が出逢うと俄然、音作りが愉しくなるらしい。当たり前か。

 そして《L.S.B.》である。

 レーベルや事務所やイベンターの仕切りではなく、アーティスト主導で誕生した競演ライヴ・ツアーだからこそ、優秀なショーケースもしくはコンヴェンションとしても機能した。ファンの子たちがそれこそ知識や情報としてしか認知できていない<私の推しバンドの仲間たち>を、一網打尽に目撃できた有益な機会だったのである。

 ファンにとってもバンドにとっても、まさに幸福な空間と言えた。
 
最終公演の@大阪城ホール、私は仕事でもないのにBT今井からの強い要請で前日から大阪入り。これまた出演予定のないhideも当日、私を追って大阪上陸。その夜の大打ち上げの酒量は尋常ではなく、BT・LUNA SEA・ソフバ・イエモン・マッド勢揃いの賑やかな宴と化した。したたか酔ったマッド・TAKESHIが愚痴る。

「スタッフの人に聞いたんだけど、俺たちのライヴが始まったらさ、ウチのファンじゃない女の子が両手で耳を塞いでしゃがみ込んじゃって、『私にはマッド・カプセル・マーケッツはわからないーっ』て叫んでたんだって。そこまで言わんでも(敗笑)」

「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 笑いすぎだ、今井。中にはそういう奴もいるさ、TAKESHI。

 ちなみに20年後、このTAKESHIがあのBABYMETALに超デジハードポップ曲「ギミチョコ!!」を提供しようとは、世の中やっぱり面白い。

 結局、「面白ければ何でもあり、恰好よければ何でもあり」という<自由すぎる足し算>が基本原理のV系だからこそ、バンドの垣根を取っ払って面白いことを模索できたと思うのだ。合言葉は好奇心、である。

 今回の《L.S.B.》一夜限りの復活は、いろんな意味でLUNA SEAのケジメに相応しい。

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