『ひらけ!ポンキッキ』の背景にある驚きの音楽史とは? 史上初のテレビ童謡研究書を読む

『ポンキッキ』ソングの尖鋭性

『ひらけ!ポンキッキ』の楽曲をあらためて聴くと、子供の頃にはぜんぜんわからなかったのだけれど、その時代時代の先端とされる音楽を実に素早く取り込んでいたことに気づかされる。シンセサイザーの導入もかなり早くからなされていて、75年の「たいやきくん」ですでにアープ・オデッセイが使われていたという。

 それはしかし、流行に乗るというより、面白そうなことはやってみるという興味本位から実現されていたことだったようだ。佐瀬寿一のインタビューを読むとそれが確認できる。

 佐瀬のインタビューで特に注目されているのは、80年の「おふろのかぞえうた」だ。全編打ち込み+シンセで録音された、クラフトワーク+バグルスみたいな曲で、ハーモナイザーでピッチをびょーんと上げられるボーカルが印象的である。

beポンキッキーズ40th ソングス 「おふろのかぞえうた」
   ——「おふろのかぞえうた」のエレクトロニクス導入だって、大きな決断だと思うんですね。

佐瀬 それをやらせてくれる番組だったんです。お金も出してくれて。スタジオを一日ロックアウトしないと、今みたいにプロ・トゥールスがあるわけじゃないから、まずテンポ信号を入れてからですから(笑)。

(…)

——でも、あの詞自体はテクノとは関わりないですよね。

佐瀬 悪ノリですよ(笑)。高田さん〔作詞の高田ひろお〕にいちいち説明もしなかったし。数え歌っていうとさ、すごく古いイメージがあるじゃない。「ひっとつっとせー」って。そういうところを払拭したいなってのがあったと思う。それであっちに逃げたのかもしれない。

——それでドイツのミュンヘンサウンドになると。『ポンキッキ』自体がすごくバタ臭い番組でしたから。クラフトワークとか平気でかけてましたし。ある意味、子供ウケのことを考えずに、大人が楽しめるノリで作ってる。

佐瀬 観る側も免疫ができてたと思うんです、『ポンキッキ』という番組に対して。いきなり何もないところにポーンと出したら、絶対拒絶されるよね。だから抵抗なく、「おふろのかぞえうた」とかが受け入れられたんだと思う。

「元々悪食だから。自分の感性のフィルターに通ったものなら、ギター1本だろうが電子音楽だろうがなんでもいいから」という小島の懐の広さのおかげで、こうした悪ノリの実験意識がスポイルされずに生かされ、『ポンキッキ』の音楽は他のテレビ童謡とはひと味違う現代性を獲得できていたということだろう。

『ピッカピカ音楽館』へ

 85年にフジ音楽出版がパシフィック出版に吸収され、フジパシフィック音楽出版が誕生する。フジパは原盤制作もしており、『ひらけ!ポンキッキ』の音楽制作もフジパのディレクターが手掛けるようになっていく。小島の担当する割合は減っていき、86年の「からだ元気?」を最後に番組から外れた。

 小島は87年にポニーとキャニオンを退社し、それ以前から誘われていた小学館—テレビ朝日の『ピッカピッカ音楽館』の音楽監督を務めることになる。この番組での最大の片腕は、ダディ竹千代こと加治木剛だったそうだ。

 思いがけない名前が出てきて、ええーっ!と驚いたのだが、加治木は、ダディ竹千代&東京おとぼけCats解散後にプレイという音楽制作会社を興しており、『ピッカピカ音楽館』の音楽は主にプレイが手掛けていたのだという。

『ピッカピカ音楽館』は3年間続いたが、小学館の社員が制作に入り込んできて、小島はイニシアチブを取れなくなっていき、小島が抜けると同時に終了した。アルバムは1枚出たきりで未リリース作品がたくさん残されたのだが、本書はそれらのデータもすべて網羅している。

***

 本の性質的に紹介に徹するのがいちばんの書評だと考えてまとめてみたのだけれど、たぶんまだ10分の1も紹介できていないだろう。ともかく登場する楽曲や人物の数が膨大で、索引を見るとクラクラする。あの人がこんなところに!?という意外な発見も読者それぞれにあるに違いないから、ぜひ本に当たってみていただきたい。

 ひたすら情報の確認をしているようなインタビュー本編はちょっと取っつきが悪い面もあるけれど、通史+資料集という性格の本であり、一度読んでそれで終わりという類のものではない。立ち読みはほとんど意味がないので、気になった人はとっとと買うのが得策である。

■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter

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