Acid Black CherryがV系以外にも支持層を広げるワケ 市川哲史がyasuの“資質”から分析

 こうした彼の素質はトータルコンセプト趣味のみならず、<特殊なはずがキャパは広い>という最大公約数性にも表れている。

 元来、RPGがこれだけ普遍的に支持されてるのは、どれだけストーリーの設定や展開が凝ってても、実は誰でも登場人物に感情移入できる互換性があるからだ。と同様にyasuによるコンセプト性も、誰からでも自由に解釈できる類のものだ。

 そして彼が書くラヴソングの詞も、一人称がOLだろうとホストだろうと成立しそうな融通性を誇る。というか、自分が女子目線の楽曲が妙に多い。人気カヴァーアルバムシリーズ『Recreation』の選曲でも、工藤静香・中森明菜・あみん・大橋純子・薬師丸ひろ子・ドリカムなど、女性歌手のベタな持ち歌が目立っていた。

 要するにyasuのメンタリティーが女子と同一というか、ファンタジー文化ならではの<いつも心に少女性>というか、常に<マッチョではない感性>に彩られているのだ。

 自らのファンタジー思春期が育んだ、まだ触れたことのない少女に対する圧倒的な憧憬を出発点に、やがて少女がいろんな意味で強い女になっていく過程を妄想する。その価値観こそが、yasuワールドの基本形に思えてならない。

 考えてみたら、演歌にせよフォークにせよニューミュージックにせよ、日本では昔から<♂が唄う、一人称が♀の歌>が妙に好まれる。無論そこでは、♀の心情がリアルに描かれているはずもなく、あくまでも♂が勝手に想像した♀の心情しか表現されていない。

 しかし、♂は仮想♀で作品を作ろうとするとやたらクリエイティヴィティーがたぎってしまうから、圧倒的な誤解の産物でも面白くなっちゃうのである。

 となればそれが十八番のABCは、自分のちんちんを股に挟んで隠し「いやーん♡」と悶えて女児になりきるクレヨンしんちゃんと、同一線上にあるのかもしれない。

 あらゆる意味で、ゴスや美学の代わりにファンタジー・カルチャーが詰め込まれたV系だからこそ、Acid Black Cherryはストレンジなのだ。

 yasuの未来永劫思春期と几帳面なオタク的性分が、見事な華を咲かせたよ。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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