KISSが日本の音楽に与えた影響とは? 市川哲史が「ももクロ vs KISS公演」を振り返る(KISS目線ver)

 ヴィジュアル系というか、X JAPANなんか正真正銘<KISSチルドレン>だ。

 派手なメイクやコスチューム、やたらメロディアスなツイン・リード・ギターによるソロ・パートなど、X JAPANはKISSの具体的な痕跡だらけで微笑ましい。

 まだX時代の全国ツアーだったか、その名も《KISS》という呑み屋が金沢にあり、休業日にもかかわらず開店させると徹夜で騒いだ。KISSの楽曲が大音量で流れる中、PATAとhideがカウンターで酒を作り、“雷神”がかかるとあのTOSHIが口にふくんだケチャップを吐きまくる。あげくhideが「皆脱げ!」と叫ぶと、メンバーもスタッフも全員脱いで盛り上がっていた。平和だ。

「やっぱりね、レコードかけて俺たちの世代が皆一緒に耳を澄ますっつったらKISSだもんね、やっぱり(至福笑)」

 部屋の中でKISS聴きながら、テニスのラケットを持ってギター弾く真似して陶酔する中坊だったhideだけに、その熱狂ぶりが微笑ましかった。

「友達の兄貴に録音してもらった『アライヴⅡ』のカセットを聴いて、目に映らない音というものに本当に素直に自分の感情が左右されたことが、衝撃的だったの」

 意外にもKISSのヴィジュアルを知る以前に音だけでハマったhideだったが、そこは美容院経営で小金持ちの祖母が財源なだけに、レコードもML誌やファンクラブ会報のバックナンバーも輸入雑誌も写真集も全て揃えたのである。嫌な子供だねぇ。

 『音楽と人』編集部に飾っていたLAのフリマで偶然入手したジーン・シモンズのフィギュアを、遊びに来たhideが身悶えながら欲しがったのを想い出した。ちょっと意地悪して拒んだらわずか1週間後、奴はジーンのみならずポールとエースとピーターの全4体を揃えて自慢しにやってきたのであった。大人げないアーティストだねぇ。

 それはともかくYOSHIKIもたしか、母親に連れてってもらったKISSの武道館公演に舞い上がり、ドラムを始めたはずだ。わははは。

 KISSで洋楽ロックに目醒めた初心者たちのほとんどが、79年発表の『地獄からの脱出』あたりを契機に、そのKISSを巣立っていった。衝撃のディスコ曲(←死語)「ラビン・ユー・ベイビー」の頃だ。

 ノーメイクになろうがヘヴィメタに寄ろうがLAメタルに染まろうがグランジに化けようが、その後のKISSはどうでもいい。申し訳ないけれども、彼らの骸を乗り越えて我々はさまざまなロックを体験し、また創造できたのだから。

 まさに<史上最強のかませ犬>だったのである。

 そういえば海外でも、リプレイスメンツのようなUSインディーズ系からニルヴァーナなどのオルタナ/グランジ系、更にはデスメタル系まで多くの後継バンドたちがこぞってKISSのトリビュート盤に参加しているではないか。

 それにももクロの「猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」」や「MOON PRIDE」でギター弾きまくりのexメガデス、Jポップヲタのマーティ・フリードマンも、中坊でハマっちゃってたわけで、まさにKISSは全世界的に全世代的に、ロックの<優秀なスターター・キット>であり続けてきたのであった。

 そういう意味では(いくらビジネスとはいえ)未だ飛び道具であり続け、今回もちゃんとももクロの<ワールドワイドなかませ犬>としていい仕事をするKISSは、やはり偉いのだろうと思う。

 ももクロ自身は例によって、たぶん何も理解せぬまま「KISSさん」呼ばわりしてたけれども。だははは。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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