アンジュルム「大器晩成」楽曲提供で再注目 異端のシンガー・中島卓偉のアーティスト性とは?

 今、中島卓偉が熱い。いや、いつだって熱い男であるのだが。アンジュルム「大器晩成」や℃-uteの4月1日リリースのニューシングル「次の角を曲がれ」など、アップフロントの後輩グループへの楽曲提供を期にアイドルファンを中心に注目を浴びている。卓偉楽曲は、少し古風なジャパニーズ・ロック感と、収まりの良い日本語“詩”ではない口語調の詞(ことば)”が強い特徴であり、本人は必ずしもクリエイター気質の器用なタイプであるとはいえなそうだ。されど数こそ多くはないが、LoVendoЯ「イクジナシ」(2014年)や、少女-ロリヰタ-23区の総史が在籍したユニット、ワタシメスラッグ「Shiny day」(2007年)への楽曲提供、シリアル⇔NUMBERのプロデュース(2008〜2009年)など、アーティストと卓偉の個性が合致したときの爆発力は大きく、その作品が後のアーティスト自体の方向性を左右するものになることも少なくない。

 ソロアーティスト・シンガーでの卓偉は、どこか童顔で164cmの小柄な体格とは裏腹な声量で歌い、吼え、叫び、他の追随を許さないボーカルで聴くものを捩じ伏せる。制作面では作詞・作曲はもちろん、ギター、ベースなどを自ら演奏するほど、こだわりが強い。その存在はヴィジュアル系シーンにおいても欠くことができない。「最高に憧れの方の1人です。「FREE FOR FREE」が無ければ、今の俺は居ないかもしれません。」と語るNoGoDの団長を始め、アルルカンの暁、シドのマオなど、リスペクトを示すボーカリストも多く、シーンに与えた影響は大きい。

 ロックをこよなく愛し、根底をなすのはパンクスピリット。類い稀なる感性と圧倒的な歌唱力で、各方面からの評価も高い実力派シンガーソングライター・中島卓偉の音楽遍歴を紐解いていこう。

V系の殻を被ったパンクバンド、MAGGIE MAE

 中学卒業と同時に福岡から上京し、MAGGIE MAE(マギーメイ)を結成。「ヴィジュアル系の客を掻っ攫うため」と豪語し、シーンの真っ只中に飛び込んだ。激しいサウンドと反骨精神剥き出しのストレート過ぎる歌詞にはヴィジュアル系の“V”の字もなかった。ドラムメンバーがおらず、ドラムマシンを使用するという異色バンドながらも、大半の楽曲を手掛けるTAKUIのセンスと抜群の歌唱力、ステージングでその名を馳せる。メジャーデビュー寸前まで昇り詰めるも、「才能のあるヤツと会えなかった」「デビューして途中でダメになって解散するのが嫌だった」と、メンバー間が友好的でなかったことを隠すことなく、1998年に解散する。

「自分の好きな音楽を追求する上で、全部一人でやってやろうと思った」

 1999年にソロアーティスト“TAKUI”としてメジャーデビュー。翌年2000年にJロック史における名盤となる『NUCLEAR SONIC PUNK』をリリース。作詞・作曲と自らギターとベースを担当し、スティーヴィー・サラス・カラーコードのCJデヴィラを共同プロデューサーに迎える。リードギターにスティーヴィー・サラス、ドラムに同じくカラーコードでボブ・ディランのドラマーとしても有名なウィンストン・ワトソンと、ガンズ・アンド・ローゼスのマット・ソーラム。強者揃いのバンドから繰り出される高音圧ヘヴィサウンドは単に「洋楽サウンド」で片づけられない聴いたことのないようなバンドサウンドだった。海外猛者たちに一歩も引けをとらないどころか、バンドを牽引していく豪快なボーカルは好戦的であり、挑戦的でもある。〈俺は一千万人に一人のエンターテイナーだ〉〈俺はUNDERGROUNDの異端児〉ソロアーティストとしての自信に溢れた所信表明ともいえる歌詞に、恋だの愛だのといった甘美さや退廃的な様式美などは一切なく、パンキッシュでストイックな、男が憧れるアーティストだった。余談ではあるが、当時筆者が音楽専門学校に務めていたころ、ボーカリストを目指す学生たちの中でTAKUIに憧れていた男子生徒が各クラスに必ずいた。アーティストとしてはもちろん、生半可な歌唱技術では歌えないTAKUIの楽曲を歌うことがスキルの面においても一つの目標になっていたのである。

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