嵐が<崖っぷち>アイドルだった頃(中篇) 市川哲史がグループの“仲の良さ”を読み解く

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 結局、昨年2014年のめぼしい音楽トピックは嵐の結成&デビュー15周年だけだったが、それだけ誰もが祝福するおめでたい出来事でもあったのだ。

 とはいえ、デビュー曲の『A・RA・SHI』がほぼミリオンセラーだったのに、初アルバムが出せるまで2年も懸かった嵐である。セールスの伸び悩みはかなり深刻で、デビュー4年目にはキャニオンとの契約を切り、異例のプライベート・レーベルを起ち上げて状況の打開を図るしかなかったほどだった。

 これだけ長く商業的成功に恵まれないと当然、後続のグループに次々と追い抜かれる憂き目も見る。

 たとえばデビュー9年目でようやく実現した嵐の初ドーム公演と同じ2007年に、デビュー4年目の後輩・NEWSも演ってたりする。KAT-TUNに至っては嵐の1年前、06年デビュー公演がいきなり東京ドームときたもんだ。不遇というか、最初の6~7年は15周年なんて夢のまた夢の、超<崖っぷちアイドル>だったのである。

 そんな嵐のブレイク前夜――デビュー5年目の2004年秋から06年春にかけて、私はやたら彼らに逢っていたようだ。

 04年10月・5周年記念ベストアルバム『5×5』→05年3月・14thシングル『サクラ咲ケ』→4月・松本潤ミュージカル『エデンの東』+松潤TV『ミンナのテレビ』MC→7月・5thアルバム『One』→8月・コンサート@代々木競技場第一体育館→10月・15thシングル『WISH』→06年2月・櫻井翔ソロライヴツアー《THE SHOW》+大野智ソロライヴツアー《(2006×お年玉)÷嵐=3104円》→3月・櫻井ミュージカル『ビューティフル・ゲーム』などなど。

 おお、当時のスケジュール帳を見て驚いた。この一年半に限定しても、これだけインタヴューしてたのか。いろいろ想い出してきたぞ。

 京都で山崎まさよしのライヴ観て呑んでたら、オリスタ編集部から電話で「明朝9時、汐留・日テレで松潤にミュージカル&MCのインタヴューを!」と泣きつかれ、人の好い私は始発の新幹線に仮死状態のまま乗ったんだよ。「生きてます?」と松潤に生体反応を確認されたんだよ。

 4日間で全7本の代々木体育館最終日は、昼の公演と夜公演のインタバルに楽屋打ち上げというありえない展開だった。3時間超のコンサートを1時間後に控えるメンバーの前では、なかなか呑みづらい。「さーさー気にせず呑んで呑んで」。笑顔の二宮の目は、決して笑ってなかった気がする。わははは。

 当時の嵐はアイドルとしては充分、成立していた。しかしデビュー5年にもかかわらずブレイクしたのかすら定かではない、中途半端な存在であったのも事実だ。世間的にも業界的にも「なんか物足りない」存在だったのだ。

 正直な話、「いつの日かSMAPを超えるど【傍点】メジャー・アイドルになる!」なんて思ったことはないが、私は嵐から目が離せなくなっていた。なぜなら彼らは一貫して、自分自身を客観的に見つめながら活動していたからだ。アイドルらしからぬというか、私には優秀な発展途上バンドのように映ったのである。たぶん。

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