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栗本斉の「温故知新 聴き倒しの旅」

大滝詠一とはどんな音楽家だったのか 改めて作品と向き合って感じること

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 2015年の正月を迎えた頃、ふと「あれから1年かあ」と感慨にふけりました。そう、大滝詠一氏が亡くなって早くも1年が過ぎ去ったのです。日本のロック/ポップス史における大きな足跡を残した彼の死は、本当に多くの音楽ファンを悲しませました。もう何年も新作を発表していないのにもかかわらず、今もなお多くのミュージシャンに影響を与え続け、幅広いリスナーを掴んでいるカリスマ。こういう立ち位置の人は、他には見当たりません。とある特集記事を見たところ、細野晴臣や松本隆といった縁の深いベテランたちだけでなく、ceroや森は生きているといった若手の方のコメントもあり、改めてその影響力を思い知らされた次第です。

 しかし、大滝詠一とは、どういうミュージシャンなのか? と聞かれると、実は非常に困ります。例えば、山下達郎であれば「職人的なポップスを紡ぐプロフェッショナル」、ユーミンなら「大人の女性の教祖的存在」など、そのアーティストを示すキャッチコピーが付けやすいと思います。しかし、大滝詠一に関しては、どういうフレーズを持ってきても物足りないというか、しっくりこないのです。そもそも、この人はいったいどういう人なのか、一言で説明できる人はいないのではないでしょうか。

 彼の長いキャリアを俯瞰するようなベスト・アルバム『Best Always』が、ついに発表されました。たしかに本作は大滝詠一という多才な人物を知るには手軽であり、わかりやすいサンプラーだと言えます。1970年にはっぴいえんどのメンバーとしてデビューした時は、米国西海岸のサイケデリック・ロックやフォーク・ロックを日本風土に落とし込んだ立役者でした。しかしこのテイストは、グループ解散後はあまり表に出しません。その代わり、ソロになってからは50~60年代のオールディーズを徹底的に研究したサウンドで、新たなポップスを作り始めました。また、ナイアガラ・レーベルを立ち上げて、シュガー・ベイブを世に送り出し、その後のインディーズ・ブームを予見させるような展開を見せます。

 80年代に入ると、『A LONG VACATION』というメガ・ヒット・アルバムを発表し、当時のJ-POPの最先端の地位を確立。その勢いに乗って、松田聖子や薬師丸ひろ子のヒット曲を手がけるソングライターとしても成功を収めました。ただ、プロデューサーとしてはポップスばかりではなく、小林旭や森進一といった演歌系の他、金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」や山田邦子「邦子のアンアン小唄」なんていうノベルティ・ソングにも関わっています。また、凝りに凝ったCMソングも多数制作していますし、ライナーノーツをはじめ執筆業も多数。ほとんどテレビには出演しませんでしたが、ラジオではユニークな番組作りを行うなど、音楽制作だけではない活動も目立ちました。

      

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