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市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第6回

「バンド再結成」はボーカリストがカギを握る? 市川哲史が振り返る、悲喜こもごもの復活劇

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 洋楽・邦楽シーンを30数年にわたってフォローしてきた音楽評論家の市川哲史氏がつづる「バンド再結成」事情。ジャーニーを題材に、ボーカリストが“見せ場”を持っていく様子をユーモラスに指摘した前編【“オリジナルの歌声”には誰も勝てない 元ジャーニーのS・ペリーがMLB球場を熱狂させたワケ】に続き、後編では市川氏自身が幾度となく取材したX JAPANについても言及している。(編集部)

 オリコンスタイルだかどこだかのアンケート調査に拠れば、10~40代男女の77%が自分の好きだったバンドの再結成に賛成だそうだ。「へえー」というか、裏を返せばもはやバンドの再結成がちっとも珍しくなくなったのだろう。

 そういえば昨年、一世を風靡した『あまちゃん』を観ていて実感したことがあった。失踪していた母親が家に戻ったばかりの足立ユイと、潮騒のメモリーズの相棒を気遣う天野アキの電話の会話だ。

「お母さんに会った?」「ああ……うん、チラっと」

「いがったな」「良かったのかな」

「だって、足立家再結成だべ」「バンドじゃないけどね(笑)」

〈再結成〉がNHK連続テレビ小説で通用するほどの一般用語になるなんて、とても想像できなかった私である。

 洋楽では1970年代から既に当たり前の<再結成>が、日本国内で日常化したのはここ10年ぐらい。そもそもバンド自体が日本に根づいたのが80年代末のバンドブーム以降なのだから、当然のタイムラグなのだろう。それでもX JAPANやLUNA SEAの復活ドーム公演が大盛況となった2008年から、すっかり再結成は単純明快な音楽エンタテインメントとして重宝されている観がある。

 さて私は、かつての人気バンドが再結成してライヴを演る分には大賛成だ。

 まだまだ外タレの来日が一大事だった70年代に惜しくも観られなかった伝説のバンドたちをその後、再結成来日公演で目撃できた我々世代としては、当然だろう。多少の劣化には積極的に目をつぶっている。

 けれどもライヴ以外に、再結成には何も期待したことがない。理由は簡単、生産的じゃないからだ。再結成バンドの<新作>に名盤なし――この一言につきる。

 いろいろどうにもならないから解散したバンドが、〈元少年少女で現おっさんおばちゃん〉を狙うのか〈現少年少女〉を新規開拓するのか曖昧なまま作った新作に、過大な期待をするリスナーがそもそも間違っているとは思わないか。

 バンドもバンドだ。観客のほぼ全員がかつての楽曲を聴きたいだけの再結成ライヴで、「新曲を聴かせたい」「再結成したからには進化した俺たちを観てほしい」とは自意識過剰にも程がある。進化しとけよ解散前に。

 なので私は、バンドとファンOBという当事者が誰一人傷つかず平和なひとときを味わうためにも、ライヴ限定こそが〈正しい再結成〉と捉えている。懐メロ上等だ。

 つまり再結成という行為自体は、否定しない。どんなに美辞麗句を並べようが邦洋問わずバンドが再結成する理由は、メンバーや作品の原盤権や著作権を持つ事務所が経済的に「救われたい」からだ。そんな背に腹は代えられぬ事情で再結成に走る者たちを、誰が責められよう。バンド名とは商標であり、彼らに赦された最強の知的財産権なのだから、困窮したら行使して再結成すればいい。

 だってあなたたちの正当な権利なのですから。

 でもできるならば、新作を作るのだけはやめてくださいね。誰も得しません。

再結成の浮沈の鍵を握るのは、いつもヴォーカリストの参加/不参加

 前回の本コラムで〈大衆的ヒット曲におけるヴォーカリストの圧倒的な記名性〉を、ジャーニー1981年の全米ヒット曲にして今年最もMLBで愛唱された“ドント・ストップ・ビリーヴィン”を例に書いた。要は、「ヴォーカリスト不参加の再結成バンドは、誰からも歓迎されない」という、至極当たり前の現実の再確認だ。

 一般リスナーにとっては結局、バンドのカリスマやらバンマスやら音楽的主役が誰であろうが、「あの歌」を唄う声が当時と同一であることが最優先される。想い出とは、雰囲気としての記憶の集積に過ぎない。だからこそ再結成の浮沈の鍵を握るのは、いつもヴォーカリストの参加/不参加――唄声だけはツブシがきかないのだった。

 だからキャロルが矢沢永吉、BOΦWYが氷室京介の同意を得られず、未だ再結成が叶わないのもヴォーカリストの特権に他ならない。それでいいのだ。

 そんな昨今の再結成ブームの渦中で最も考えさせられたのが、やはりX JAPANのケースだったりする。

 リスナーを洗脳してナンボのカリスマが逆に洗脳されちゃったという、己れの圧倒的な浅はかさでXを解散に追い込んだ張本人・TOSHIですら、再結成のキャスティングボードを握れてしまうとは、すごいぞヴォーカリストの〈必殺治外法権マジック〉。

 TOSHIが突然脱退を通告してきたミーティングの様子を、YOSHIKIはこう語っていた。

「もう駄目だと思った。幼稚園からの付き合いなんで、目を見りゃわかるじゃないですか。だから『あ、もう目が違う……』と思って。そしたらHIDEが『あれだけ勝手なことやって、まだこんなことすんのか!?』って激怒して、凄い会話になって……もう聞いてられなかった」

 結局、洗脳TOSHIが1997年4月に脱退したことにより同年9月、Xは解散を発表。それでもHIDEが「ファンに対するけじめ」とYOSHIKIを説得して、同年12月31日にラスト・ライヴが実現したと記憶している。当初はヴォーカル無しの全曲インストゥルメンタル・ライヴにする話もあったものの、なんとか踏みとどまった。

 それだけにあのライヴは後半、「MCで何を言い出すかわからない」とTOSHIの傍に歩み寄り「半分見守り半分警戒」しているYOSHIKIと、そのYOSHIKIをさらに見守るHIDEの姿が織りなすリアルな人間模様が、実は垣間見られたのであった。そりゃあね。

 あれから10年。2008年3月の再結成ライヴ以降、X JAPANは復活している。

 しかし再結成への参加オファーが来たのをいいことに、「参加するもしないも全ては金次第」とミーティングからリハから全てにおいて「1回いくら」のギャラを請求したTOSHIの銭ゲバぶりは、関係者を震撼させた。HIDEが鬼籍に入った以上、TOSHIまで不在だと再結成濃度は極めて薄くなるわけで、そこで足元を見たTOSHIの戦略は再結成におけるヴォーカリストの特権をフル活用した、見事なビジネスモデルと評価したい。

TOSHIは本当に普通の男だった

 TOSHIとYOSHIKIは幼稚園以来の幼馴染みにして、Xにおいてはストレンジな共依存の関係にあった。

 かつて私が〈普通人〉と命名したTOSHIは本当に普通の男で、YOSHIKIに200%依存することで「アーティストとしての自分」を確立していた。YOSHIKIはYOSHIKIで、地球上で最も自分の言う通りにしてくれる戦友だからこそと、レコーディングでTOSHIに100回唄わせても冷静にNGを出し続け、あげくTOSHIが喉から出血したら「このままじゃTOSHIが死んじゃう!」と泣き叫んだ。なんて素敵なマッチポンプ&パラドックス祭り。

 そういう意味ではYOSHIKIやら洗脳やら自己啓発され放題の人生だった男が、再結成におけるヴォーカリストの特権を武器にして、初めて自己主張した瞬間だったのかもしれない。ならば、銭ゲバも洗脳本も恰好悪い発露ではあるが仕方ない――大目に見てやろうではないか。

 ただしその佐村河内ファッションだけはやめような。もうすぐ新年だ。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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