フェスシーンの一大潮流「四つ打ちダンスロック」はどこから来て、どこに行くのか?

ディスコ・ビートの「ギターロック化」と「高速化」

 亀田氏も同番組で指摘していた通り、四つ打ちの源流は、70年代の海外のディスコ・ミュージックにある。上記した「ドン・ツー・ドン・ツー・ドン・ツー・ドン・ツー」というリズムも、いわゆる「ディスコ・ビート」と呼ばれるスタイルだ。そして、日本の現役ロックバンドの中で最初にそのディスコ・ビートを意欲的に取り入れたのが、TRICERATOPSだった。

 「踊れるロック」を標榜して登場した3ピースバンドの彼らは、デビュー曲「Raspberry」(97年)や「FEVER」(98年)で、すでにこの手の四つ打ちにトライしている。

 この「FEVER」のBPMは120ほど。70年代のディスコ・ミュージックのテンポにほぼ等しい。ベースラインの動き方も、その時代のディスコ・ミュージックによく見られるものだ。ボーカル/ギターの和田唱は自らのルーツの一つにスティーヴィー・ワンダーを挙げている。スティーヴィー・ワンダー「アナザー・スター」のようなソウル・クラシック、黒人音楽としてのディスコ・ミュージックを3ピースのバンドスタイルで翻案したのが、日本における「四つ打ちダンスロック」の端緒となった。

 そして00年代に入り、このディスコビートが「ギターロック化」してゆく。90’sUSオルタナティブやUKロックのテイストと折衷し、もともとあった黒人音楽的な横ノリのグルーヴの要素が薄れていく変化を見せる。それを推し進めた代表的な存在がASIAN KUNG-FU GENERATION。象徴的な一曲が「君という花」(03年)だ。KANA-BOONが彼らに憧れて育ったことを公言するなど、後続のバンドたちに与えている影響は非常に大きい。

ASIAN KUNG-FU GENERATION「君という花」

 ただし、この「君という花」は、BPM130ほど。今の潮流に比べるとテンポはまだまだ遅い。00年代後半、この四つ打ちギターロックの「高速化」を最初に打ち出したバンドがBase Ball Bearだった。

Base Ball Bear「ELECTRIC SUMMER」

 Base Ball Bearのメジャー1stシングル「ELECTRIC SUMMER」(06年)は、BPM150ほど。夏フェスの場でこの曲が熱い盛り上がりを生むことで、バンドは人気を拡大していった。彼ら自身、インタビューで「速い四つ打ちは自分たちが最初にやったこと」と語っている。

 こうして90年代から00年代にかけて、様々なバンドにより、ディスコ・ビートがソウルや黒人音楽からギターロックへと読み替えられていくわけなのである。

 ちなみに、この一連の変化は、南田勝也氏が『オルタナティブロックの社会学』の中で書いた「波から渦へ」「表現からスポーツへ」という見立てと繋がるものだ。南田氏は、90年代後半以降、野外フェスの浸透とともに、聴衆と一体になって身体を動かすという「スポーツ性」がロックにとって大きな要素になってきたと指摘している。

 また、ヒップホップやR&Bの隆盛を経て黒人音楽とロックが離れ、横方向の揺れ=スウィングが重要な「波」のグルーヴから、縦に刻まれるビートが織りなす「渦」のグルーヴが主軸になってきたと分析している。ディスコ・ビートのギターロックへの読み替えは、そういった時代的な動きともリンクするものと言えるだろう。

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