ヒップホップとヤンキーはどう交差してきたか? 映画『TOKYO TRIBE』と不良文化史

youngjpeg.jpg
『YOUNG BLOOD 渋谷不良 ( カリスマ ) 少年20年史 Vol.1 2009年 8/14号』(少年画報社)

中矢:チーム文化はもともと都内の私立高校に通うような中産階級の少年たちに支えられていたのが、やがて関東近郊のヤンキー文化と合流するようになったイメージがありますけど、日本のヒップホップもそれと平行している部分がありますよね。ホテルニュージャパンのオーナー・横井秀樹の孫で、慶應義塾幼稚舎出身のZEEBRAに象徴されるように、90年代のいわゆるハードコア・ヒップホップは経済的に比較的恵まれた環境で育った人たちに支えられていた節がありますが、2000年代以降は地方の不良たちにも浸透し、ANARCHYのようなラッパーが出てきた。

磯部:『YOUNG BLOOD』の第2弾では、まさにそのZEEBRAにチーム文化を振り返ってもらった。71年生まれで、「オレが“チーム”っていうものを認識したのは中2(85年)の頃だったと思う」と言っているように、黎明期からその変化を目の当たりにしてきた彼の証言はかなり貴重で全部再録したいぐらいなんだけど、ここでは時流の移り変わりについての発言を抜き出してみよう。

「チーマーっていうと暴力的なイメージがある? うーん、後の事は分からないけど、オレたちは違ったな。初期のチーム文化は基本、学校単位の集まりで、しかも私立だと色んな所から通って来てるヤツらがいたから、横浜のヤツもいれば千葉のヤツもいた。そういうのもあって“横浜の誰々”とか“千葉の誰々”とかじゃなくて。“何処高の誰々”っていう感じで接してた。そこがそれまでのヤンキー文化とは違うところ。だから、他の街と揉めるとかはなかったし、ほかの街の暴走族が攻めてくるとかもなかった。第一、来てもどうしていいか分からなかったんじゃないかな。まだ敷居が高かったから、渋谷とか六本木は。フッションも含めてね。その頃、渋谷にいたのは地元のヤツらと、あとは慶應、青学、明中とか。その辺は大体先輩とかが繋がってたんで、あまり問題は起こらなかったね。(略)そういう風に、オレらの世代はすげーフリーだった。あと、高一の頃、映画の『ウォーリアーズ』に感化されて、多国籍軍みたいなのをつくろうって、色んなインターのヤツとつるんだり。そこには、アメカジもいればパンクスもいて」

「雰囲気が変わって来たなって思ったのは、オレが中3の時(略)。そこから、新しいチームがどんどん出来るようになって、87年、オレが高1の頃には凄い数に増えていた。でも、まだその辺りは皆、友達の友達ぐらいで、大体繋がりは把握してたね。ただ、オレはその頃から段々と興味がヒップホップに移っていった。当たり前の話、あの辺(=チーム文化)ってやることはあまり変わらないじゃん。たむろして、ケンカして、パーティしてっていう。そりゃ、3年も続けてたら他のこともしてみたくなるよね。オレは17歳ぐらいから一人暮らしを始めるんだけど、そこからは友達もオレん家に溜まるとか、そういう遊び方が多くなっていった。その後、18(89年)ぐらいで免許を取って、車で渋谷に遊びに行くようになって、西武の横とかを流してると、窓から見えるのがいつの間にか知らないヤツらばっかりになっていて。さらにしばらく経って、チームの名前を聞いても全く知らないし、繋がりも分からなくなったとき“あぁ、これはもう次世代なんだな”と思ったな。そうしたら、渋谷がけっこう物騒になってきて。『何か、最近渋谷行くとチェーンソーとか持ってるらしいよ?!』『マジで~?! 怖い怖い怖い!!』みたいな(笑)。『ウォーリアーズ』なんかを観て、こうなったら面白いなとか、ヒップホップ好きだし、向こうのストリートみたいなヒリヒリ感っていいなとか思ってたのが、何年かしたら本当にそうなっていったっていう。まぁ、絵を描いた感みたいなものは正直あるんだけど、そのときオレはもうラッパーになっていたし、全く違うところを見ていたね」(以上、『YOUNG BLOOD~渋谷不良(カリスマ)少年20年史 Vol.2』より)

 地元という閉塞的な空間に捕われたヤンキーから、渋谷という越境的な空間で遊ぶ初期チーム文化へ。しかし、ターミナルという性格が故にそこには様々な地元を持つフォロワーが流入し、対立が生まれ、渋谷もまた閉塞的な空間になっていく……非常に示唆に富んだ話だと思うけれど、初期チーム文化の一体感が崩壊していく過程を体験したZEEBRAは、その後、ヒップホップでは同じことが繰り返されないよう、ANARCHY、そして、BAD HOPと積極的に世代を繋げる動きをしているよね。あるいは、チーム文化は70年代末の荒廃したニューヨークを描いた映画『ウォーリアーズ』のような作品を内面化した結果、フィクションが徐々に現実を浸食していったわけだけれど、そうやって荒廃した“トーキョー”を描いた『TOKYO TRIBE』は何を生み出すのか? 次はそれについて考えてみたいと思う。

(構成=編集部)

■磯部 涼(いそべ・りょう)
音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。

■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう)
1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる