ボカロオペラ『葵上』映画版に見る、ボーカロイドと文楽人形の共通性

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 歌声合成ソフトのミドリが大流行し、その音楽をきっかけにヒカルは作曲家になる。ミドリに憧れて歌手になったアオイは、ヒカルと組んで人気を獲得する。だが、アオイは忘れ去られたミドリに憑かれ、異常な行動をみせる。それは、呪いなのか、多重人格症状なのか。

 ボカロによるオペラというと、渋谷慶一郎が初音ミクを起用した『THE END』が話題になった。人工的だが生命があるようでもあるボカロを通し、死生観の揺らぎを描く。二作にはそうした要素が共通しているが、現代アート的な抽象性と難解さでいっぱいだった『THE END』に比べ、『葵上』の三角関係と怪異は、『源氏物語』の時代から現代のSFやサイコものまで繰り返し語られてきたタイプの話だといえる。とっつきやすい普遍性がある分だけ、楽しみやすい。

 3名という少ない登場人物で進行する点は能の舞台を踏まえているが、音楽の緩急や強弱と人形の動作がシンクロして感情の高ぶりを生々しく伝えるのは、正に文楽の演出である。舞台後方のスクリーンの映像、照明、カメラのアングルなどの効果もあって、人形は鬼気迫る表情の変化を見せる。半狂乱になる場面は、かなり恐い。

 ボカロと文楽人形のコラボに関しては、「メルトの舞」を思い出す人もいるだろう。昨年6月につま恋で催された世界ボーカロイド大会では、文楽人形が初音ミクの人気曲「メルト」で舞い、一部で評判になった。その時に人形を操った吉田幸助が、『葵上』でも人形遣いの中心になっている。そして、「メルトの舞」ではミクのお約束であるネギを人形に持たせたのに対し、今回の物語では人形がPCや携帯端末を操作し、割れたCDを手に持つ。

「VY1V3」、「猫村いろは」、「結月ゆかり」という3種類のボカロが使われたこの作品では、ミドリという「電子の歌姫」のことが歌われる。初音ミクがPCから生まれた自分自身について歌う曲は、初期のボカロでは目立っていたが、シーンが多様化した現在では多くない。だから、『葵上』でのボカロの自分語りは「今」的ではないのだが、忘れ去られた過去が物語のテーマだから、むしろ「今」的でないことがミドリの嫉妬の迫真性を増すという、ややこしい味わいになっている。ミドリという命名は、ボカロの代名詞、初音ミクの髪の色を意識してもいるだろう。

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