荻野目洋子が語る、“歌って踊れるアイドル”の30年「物事に立ち向かう姿勢を大切にしてきた」

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 ももいろクローバーZやモーニング娘。と、いまや“歌って踊れる”のは当たり前のアイドル戦国時代。その先駆け的な存在といえるのが、1980年代中盤から後半にかけて、松田聖子や中森明菜、小泉今日子に続く世代のアイドルとして一際異彩を放っていた荻野目洋子その人だ。彼女は「かわいらしく、容姿端麗で、かつ歌える」アイドル全盛期にユーロビートを採用したダンサブルな楽曲に挑み、“歌って踊れるアイドル”の雛形をつくったパイオニアといっても過言ではない。「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」や「六本木純情派」「コーヒー・ルンバ」といった数多くのヒット曲に恵まれ、歌にCM、バラエティで確固たる地位を築いた彼女だったが、21世紀を迎えると同時に、結婚と出産のため、活動を休止。育児に専念した後、05年より歌手活動を再開する。

 2014年、デビューから30年。そんな記念すべき年にリリースされるのが、新作『ディア・ポップシンガー』だ。前述のヒット曲に加え、「STEAL YOUR LOVE」や「ねえ」といった歴代のヒット曲はすべてリレコーディングを施し、ドナ・サマーやスウィング・アウト・シスターズ、ワム!といった海外アーティストのカヴァー曲を、彼女自らが書き下ろした日本語詞で挑んだかと思えば、15年ぶりとなる新曲「キミとタイムマシン」まで収録。まさに、荻野目洋子無双。

 「デビューから30年といっても、活動休止期間があるから、堂々と30周年とは言えません。それに私はアイドル全盛期において、決してかわいいほうではなかったから……(笑)」と、自虐ともとれるコメントとともに笑顔でインタビューに答える彼女だったが、そこには当時と変わらない輝きとオーラがあふれていた。

【ダンシング・ヒーロー MV】

「ちょっと前までは、過去の私の動画を見るのも受け入れられなかった」

――デビュー30年を迎え、率直な感想は?

荻野目:長い年月が経ったんだな、と感慨深い思いです。『ディア・ポップシンガー』は、私がアイドルとして活動していた時代に応援してくださったみなさんへの恩返しの気持ちを込めつつ、いまの私が歌手として伝えたいこと、そしてもう一度腰を据えて歌を歌いたい、という気持ちでリリースに至った作品です。

――活動休止中に「歌いたい!」という衝動に駆られたことはなかったのでしょうか。

荻野目:そういった衝動はありませんでした……というか、自然の成り行きに任せていた、といったほうがいいかもしれませんね。結婚を機に活動を休止する際、事務所からは「結婚=引退と同じようなもの」と厳しい話をされました。確かに、私がいなくなっても新しいアーティストはどんどん出てくる。でも、結婚をし、子宝を授かるという貴重な体験は、その当時のタイミングしかなかったと思うんです。奥さんとなり、母親となり、音楽活動に向けていた情熱も、いつしか子どもへの愛情、育児のエネルギーに変化していきましたからね。

――ちなみにお子さんに聴かせていた音楽は、荻野目洋子マインドよろしく、ダンスミュージックだったのでしょうか?

荻野目:いえいえ、普通に教育音楽を聴かせていましたよ(笑)。それこそ教育テレビで放送されるような音楽からクラシック、ポップスだとジョン・レノンなどを聴かせていましたね。

――物心がつき始めた頃に、「ママは歌手だったんだ!?」というリアクションはありましたか。

荻野目:たまにテレビで80年代のアイドル特集をやっていたりすると、「あれ、これマミー?」って驚いていました(笑)。育児中はテレビに出ることはなかったんですが、子育て雑誌のインタビューや、主人の仕事関係のイベントで歌を歌ったりすることもあったので、そんな光景を目の当たりにして、「マミーは歌って踊る芸能人なんだ」って認識するようになりましたね。

――すると、本格的に歌うことへの意欲が再燃したきっかけとは。

荻野目:デビューから30年目に記念碑的なアルバムをリリースしよう、といった台本があったわけではないんです。少しずつ歌う機会が増えてきて、例えば先ほど話した主人の仕事関係のイベントや、「あの名曲をもう一度!」といったテレビ出演のオファー、歌手活動25年のときにはカヴァー・アルバムをリリース……いまに至る最中に、自然とエンジンがかかってきた状態だったのかもしれません(笑)。

――活動休止期間中も音楽は聴いていたと思いますが、活動再開が決定して以降は、いまの音楽業界をどのように眺めたのでしょうか?

荻野目:最近の音楽も洋邦問わず、よく聴くようにしているんです。おこがましいかもしれませんが、「私だったら、こう歌うな」とか思ったり。でも、新しい世代のアーティストを見ていると、素直に「すごいなあ」って思わされることがたくさんあります。例えば、加藤ミリヤさんの曲を聴くと、ライトな感じで歌っているのにすごく情感があって、完璧に自分の曲として歌いこなしているな、って感じさせられる。いまはすごく才能に溢れたアーティストがいるなかで、私はどんな道を歩んだらいいんだろう、と考えましたね。

――その回答が、『ディア・ポップシンガー』という作品にたどり着いたんですね。

荻野目:実はなかなかタイトルが決まらなかったんです。最終的にデザインを担当してくださった工藤さんという方から、「『ディア・ポップシンガー』というタイトルはどうですか?」というアイディアをいただいて。従来のポップシンガーへの敬意の意味と、私自身がこれからも末永く愛してもらえるポップシンガーの偶像となれたら、というふたつの意味を重ねています。

 これまでは自分自身の昔の映像を見たりすると、ちょっと気恥ずかしい気持ちになっていたんです。でも、そんな時代を経たからこそ、いまの私がある、って思えるようになって。それこそちょっと前までは、YouTubeにアップされている過去の私の動画を見るのも受け入れられなかったくらいなんです(笑)。

――なぜ、そのように感じていたんですか?

荻野目:当時、80年~90年代前半のアイドルは、それはそれは華やかで、衣装もデコラティブ、女の子目線でも見とれるほどかわいいアイドルがたくさんいましたよね。私は音楽が好きで芸能界に入ったんですが、当時、顔だけでは勝負できませんでした。そこで私は“ダンス”というスタイルを選んだんですが、それが時代にうまく迎合する形になっただけ。それに加えて、歌番組に出ても受け答えはへたくそだし、コンサートのMCもたいしたことがない。正直、すごく不器用だったな、って。いまのアイドルはしゃべりも歌もダンスもできて、器用ですよね。テレビを見ていると、まざまざと感じさせられて、それを見ていると「表現者はどうあるべきなのか?」という気持ちのスイッチが入って、堅物だった思いが良い意味で柔らかくなってきたのかな、って。

――でも、当時の荻野目さんの“不器用さ”こそが荻野目イズムだったと感じます。例えば、「とんねるずのみなさんのおかげです」(現「とんねるずのみなさんのおかげでした」)の名物企画「貧乏家の人々」で幾度となく番組に出演していた際、まったくこなれた感じを出さず、最初から最後まで荻野目洋子は荻野目洋子、だったと思います。

荻野目:実はこの取材の2~3日前に、「みなさんのおかげでした」の名物プロデューサー、石田(弘)さんとお会いして、「久しぶりに(番組に)出たいです」って話をしてきたばかりなんです(笑)。私にとって「貧乏家の人々」は不思議なコーナー……というか、とても貴重な経験になりました。今回「ダンシング・ヒーロー」で新たにミュージックビデオを作ったんですが、その振り付けは「貧乏家の人々」バージョンを採用したくらいですからね(笑)。

――あ……言われて気づいたんですが、確かにそうですね。「おかげです」世代にとっては、まったく違和感がありませんでした。

荻野目:オリジナルは三浦亨先生の振り付けですからね(笑)。なので、「貧乏家の人々」バージョンは、きちんと承諾を得た公認の振り付けなんです。でも、それほどまでになじんでしまっているのは……複雑な気持ちになりますね(笑)。

【『ディア・ポップシンガー』ダイジェスト MV】

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