「最近はネットコミュニティを俯瞰で見ている」米津玄師が振り返る、ネットと作り手の関わり方

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 セカンドアルバム『YANKEE』を発表する米津玄師へのインタビュー後編。前編の【米津玄師が語る、“ボカロ以降”のポップミュージック「聴いてくれる人ともっと密接でありたい」】では、彼が宅録スタイルからバンドサウンドに移行したきっかけや、想定するリスナー層などについて明かした。後編では、「ニコニコ動画」で作品を発表していた時期と、新作『YANKEE』における創作スタンスの比較、さらにはネットコミュニティに対する考え方などを大いに語った。

「ニコニコ動画に投稿していた頃は、コミュニティのために音楽を作っていた」

――アルバム『YANKEE』最後の「ドーナツホール」は“ハチ”名義で作った曲を、米津玄師名義でカバーした作品ですね。

米津: 自分の名前で歌うようになるまでの曲と、「ドーナツホール」って、当然っちゃ当然なんですけど全然様相が違って。まあ、便宜上名義は分けているわけなんですけれども、その境目が曖昧になってきているというか。だから、「ドーナツホール」は作りながら「自分でも歌いたい」と思っていました。昔はぜったいそういうことは無くて。『diorama』を出す前に、周りのスタッフから「ボカロPとして自分が作った曲をカバーしてアルバムにするのはどうだ」と言われたんですが、それは断固としてやりたくなかった。それが、「ドーナツホール」になると、そういうことは全然なかったんですよね。それは自分の心境の変化だと思うんですけど。

――かつて、ボカロ曲と自分で歌う曲の一番の違いはどこにあったのでしょうか。

米津:ニコニコ動画っていう場所があって、そこに動画を投稿して聴き合うみたいな空間があるわけじゃないですか。それに投稿していた頃を思い起こすと、当時は、変な意味ではなくて、コミュニティに作らされていた感じ。言い換えると、コミュニティのために作ってたというか。そういうところなのかなあ、と。

――境界線があいまいになったというのは、そのコミュニティ的な音楽と米津さんの音楽が接近したということですよね。確かに今回の作品を全部通して聴くと、これまでのキャリアを融合させている面を感じます。

米津:コミュニティにむかって作っていた時の強い自意識みたいなものがどんどんなくなってきてるのかな、と。

――そうした自意識の問題は、ご自身の中で決着が着きつつあると?

米津:そうですね。どんどん決着は付きつつある状況なんですけど、そういう自意識はどうしてもあるので、このアルバムを作っている最中も歌詞に悩んで。やっぱり邪魔するんですよね。そういう自意識が。だから作った歌詞を書き直して、二転三転して……みたいなのが凄くいっぱいあって。で、大変だったんですけど、結論として、曲に引っ張っていってもらおうというか、「言霊信仰」というか。言葉にするとそれは本当になるという考え方。だから曲が自分の前に立って、その音楽に連れて行って貰おうという。

――先ほどの「コミュニティに向かって作ってた」っていうハチ時代の話は興味深いのですが、こうしてネットの中で音楽が生まれてくる現象って、ここ6,7年で大きく盛り上がってきた、ポップカルチャーの新しい歴史ですよね。そこにはどんな思いがありますか。

米津:今でもハチ時代のファンに向けて音楽を届けていると思っています。それと、米津以降にファンになってくれた相手にも同じ気持ちですね。……僕自身はすごい音楽好きで、音楽のことを掘り下げようとする人間だと思うんですけど、そうじゃない人もいますよね。たとえば、自分がコンビニに行ったとして、大体買うものは一緒なんです。別にそれを掘り下げようとは思わないし、自分が満足するものさえあればそれで十分だと思う。同じように、音楽に対して興味のない人はそうだと思うんです。今の僕はそんな人たちにも届くようなものを作りたいですね。

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