ストーンズは“ロックの果て”まで来た――東京公演を期に振り返るバンドの功績

 まずストーンズの功績の第一は、なんといってもロックンロールをやり続け、それを世界に普及させたことだ。1962年にロンドンで結成された彼らは、当時のイギリスを中心にヒット曲を連発し、やがてアメリカに進出していく。その60年代にはここ日本でも早々と人気を得て、同時代のGS(グループサウンズ)のバンドの多くはストーンズ・ナンバーをカバーしたし、それ以降は村八分、先述の仲井戸が加入した以降のRCサクセション、ストリート・スライダーズなど、幾多のバンドがストーンズの影響下にあるサウンドを展開し、日本のロックを牽引していった。

村八分「ぶっつぶせ!!」

 しかもストーンズは、基本的にはシンプルなバンド・コンボの形態ながら、音と音のスキ間の妙、とくにギターの絡み合いやリズムの先鋭性といった部分でロックンロールの表現を更新していったバンドである。そこにブルース、ソウル、ファンク、ディスコ、サンバ、レゲエ、ヒップホップなど、時代ごとに多様な音を吸収し、そのたびにバンドの表現として血肉化していったことはロック史においても重要な事実だ。

 ただ、こうした音楽性うんぬん以前に当初のストーンズにつきまとっていたのは、実は悪魔的なイメージだった。デビュー時、ビートルズとのライバル関係を強調する戦略目的で強化されたのは、不良としての彼らのイメージだったのだ。ドラッグや酒に溺れ、セックス・アピールも強烈、ステージでもタバコをふかすという、ただならぬバンドのにおい(今回も舞台上でロン・ウッドがタバコの煙をくゆらせながら弾いていた)。そうした破天荒さやバカバカしさは、とくに60年代から70年代にかけて一般に認知されつつあったロック・ミュージックの印象と重ねてとらえられることが多かったし、実際の彼らもそれだけの騒乱の時間を生きてきた。だが1969年、バンドを脱退したばかりのブライアン・ジョーンズが謎の死を遂げてしまう。ストーンズの醸し出すスリルやヤバさは、本人たちの意図を超えた、強烈なイメージになっていった。

 そんな中で日本にとっての大きな出来事は、1973年に予定されていたストーンズの初めての来日公演が中止になったことだ。これは、その数年前に起きたミックのドラッグ問題の前科のため、来日の許可が下りなかったことに起因する。すでに売り出されていた大量のチケットはすべて払い戻しになり、新聞報道もされた。僕は当時のことは知らないが、この中止の件は世間にかなりの……どちらかといえば、ネガティヴなインパクトを残したのではないかと思う。というのは、今回の来日前にも一部で話題になった、西郷輝彦の「ローリング・ストーンズは来なかった」(1973年)と西島三重子の「ローリング・ストーンズは来なかった」(1982年)の2曲を聴いて思ったこと。同じタイトルのこの2つは、実はまったくの別モノ。いずれもこの時の来日公演の中止がテーマのはずなのに、なぜかストーンズにさほど関係のない歌詞だったりする。

 また、1979年の映画『太陽を盗んだ男』(監督・長谷川和彦、出演・沢田研二、菅原文太)は、犯人がストーンズの来日公演を求め、警察を脅迫するというストーリーだ。この時代には五木寛之、村上龍、山川健一とストーンズ好きを公言する作家も多かった。70年代の日本のサブカルチャー界隈で、ストーンズは特別な存在だったのだ。

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