>  > スペースシャワーTVの25年 名物プロデューサーが振り返る「音楽好きの素人たちの挑戦」
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スペースシャワーTVの25年 名物プロデューサーが振り返る「音楽好きの素人たちの挑戦」

2013.12.28
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「スペシャが選ぶ200曲」は、12月29日~1月5日にかけて1日に2時間ずつオンエアされる。

 スペースシャワーTVが開局25周年を記念して、12月1日に特別企画「スペシャが選ぶ200曲」をオンエアした。番組では、きゃりーぱみゅぱみゅBiS、小沢健二、くるり、忌野清志郎、BUMP OF CHICKENサカナクションなど、ヒットチャートを単純に追うのとは一味違う、独自の審美眼で選ばれたアーティストのMVが並び、スペースシャワーTVならではのポップ・ミュージック史を辿った。今や音楽好きが楽しむ放送局としてすっかり定着しているスペースシャワーTVは、そのカルチャーをどのようにして育んできたのだろうか。開局直後から番組作りに携わってきた沢田房江氏(現ゼネラルプロデューサー)と、石田美佐緒氏(現エグゼクティブプロデューサー)が、同局の歩みについて語った。

――スペースシャワーTV開局当時、80年代のMTVブームでビデオクリップが普及していく中で、それをさらに掘り下げる専門局ができた、という印象でした。設立趣旨はどのようなものだったのでしょうか。

沢田: アメリカでMTVが盛り上がっている中、「日本でも音楽の専門チャンネルを」と立ち上げたのが1989年でした。真の音楽ファンが満足できるような良質な音楽を伝える純粋な音楽チャンネルにしようと。

石田: 当時の日本ではバンドブームの最中で、またJ-WAVEをはじめとするFMラジオ局が立ち上がって、音楽界全体が大きく変わった時期でもあります。また、伊藤忠商事をはじめとする大手商社が衛星ビジネスに出資していて、衛星放送のチャンネル(ソフト事業者)を募集していました。そんな中、日本初の音楽専門チャンネルとして会社が立ち上がったんです。

――当時は若いスタッフが多かったと聞いています。

沢田: プロデューサーと呼ばれる人たちも30代前半。核になっている創設メンバーがそれぞれ連れてきたスタッフは20代前半が多く、音楽業界未経験の私もその一人でした。ただ、全員音楽が大好きでしたね。当時はTHE STONE ROSESが出てきた頃で、少し後にグランジが流行りましたし、ハードロックやLAメタルやHIP HOPも盛り上がっていた。最初はそういうものが好きな人たちの集まりでしかなかったんです(笑)。最初はやはり洋楽のピックアップも多かったです。いとうせいこうさん、ちわきまゆみさん、シャーリー富岡さん、渡辺祐さん、加藤賢崇さんなど、サブカルチャーの代弁者的な方々にパーソナリティをお願いして、彼らの切り口で音楽を紹介してもらったり、その人脈でゲストを呼んでもらったりするような番組が多くありました。

――パーソナリティの面々もそうですが、紹介する音楽もメジャー路線ではなく、音楽ファンに向いたものでした。

石田: 地上波ではなかなか紹介されないけれど質の高い音楽を、全国の若い音楽ファンに届けたい、という感覚でやっていました。

沢田:バンドブームやその後に来る渋谷系のアーティストの方々とも仲良くしていました。東京から発信する音楽を紹介する、という要素もあったでしょうね。93年に六本木に移るまではオフィスが目黒区の青葉台にありました。そこが外国人用マンションでお客様は靴を脱いで入ってくることもあって、アーティストの方々も出演するだけでなく、遊びに来る感覚でよく来てくれました。

――その自由なノリは、今でも会社の気風としては継続していますか? 変化があったとしたらターニングポイントとは?

石田: 今も「音楽好きが番組を作る」という点では変わらないと思います。ターニングポイントがあったとしたら、中目黒にオフィスがあった時代、93年に制作部がSEPという会社として独立した時ではないでしょうか。当時は視聴契約世帯も30万人くらいで、「誰が観てくれてるの?」という状況で、視聴収入も少なく、広告収入も今のように一般スポンサーもレーベルからのリリーススポットもなかった中、資本金をほぼ食いつぶしてしまったそうで(笑)、そこで制作部門は収入を稼げる制作会社として独立しよう、ということになった、という話を、諸先輩方から聞いております。

――音楽業界はそこからCDの売り上げが大きく伸びていく時期になりますが、会社としての収入も伸びましたか?

沢田: 徐々に増えていきましたね。音楽のピックアップが半分以上洋楽だったものを邦楽中心にしていこうとした時期がありました。

石田: 当時は渋谷のWAVEの一角にサテライトスタジオがあり、渋谷系人気番組『BUM TV』を毎日生放送をしていたのですが、初めて番組にスポンサーがついてくださって、番組内で生コマーシャルを始めたのですが、あるVJが商品を飲んだ瞬間「マズっ」みたいなリアクションをして、スタッフが真っ青になる出来事がありました。そんな中、スポンサー対応ができる番組をということになり、そこでスタートしたのが『夕陽のドラゴン』という番組で、VJはブレイク前だったBINGO BONGOのユースケ・サンタマリアさんと、ウルフルズのトータス松本さんでした。最初は試行錯誤したのですが、この番組がすごく盛り上がったんです。視聴率もCS局ではダントツの数字で、「スペースシャワーを観てくれている人が、沢山いる!」ということにスタッフが実感したタイミングでもあります(笑)。当時、私は広報でしたが、紙媒体を回ってもごく小さな記事しか載せてもらえなかったのが、番組取材依頼が殺到する状況になり、徐々にスポンサーもつくようになり、レーベルや事務所とのいろいろな連携ができるようになり、チャンネルと番組の存在意義が周知されていきました。また「夕陽のドラゴン」を観たい!音楽チャンネルのスペースシャワーTVを観たい!という加入者も増え始め、収入についても光が見え始めていた時期だっだと思います。

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