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さやわかの「プロデューサー列伝」 第10回:つんく♂

つんく♂はモーニング娘。をどう導いてきたか プロデューサー16年のモード変化を読む

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 つんく♂のプロデューサーとしてのあり方は彼のタレント然としたイメージとは異なるものだ。彼は昔からビートルズへの敬意を口にしており、それもまたミュージシャンの発言として平凡だと言うこともできるが、しかしその影響は彼の仕事の中に確実に見て取れる。しかもそれはコンポーズそれ自体以上に、そもそもレコーディングを重視する態度に表れているのだ。簡単に言えば、ようするに彼の仕事は知的かつ技巧的なのだ。つんく♂とは日本の芸能界の文脈を満たしながら玄人好みの音作りを両立させられる人物で、その意味では昭和の歌謡曲を彩った大御所プロデューサーたちに近いと言える。

 だが、つんく♂のような人物が過去にもいたというだけでは、彼が90年代末期にプロデューサーとして登場した意味を見失ってしまうだろう。彼がその時代に台頭したことは重要だ。まず彼はモーニング娘。などのアイドルのプロデューサーとして活躍する前に、自身が歌い手としてシャ乱Qというバンドで活動していた。1988年に結成されたこのバンドは、間違いなく80年代後半のバンドブーム、つまり音楽シーンで成立していた「自作自演」を尊ぶ傾向、つまり自ら曲を作り、演奏し、歌うことがミュージシャンとして正しいという本格志向に乗っていた。そして同時に「アーティスト」が歌と演奏に内面を反映させるという、80年代末期から90年代初頭にかけて成立する心理主義的な物語にも支えられていた。

 しかし90年代のプロデューサーブームは、楽曲のエキスパートであるプロデューサーと、その要求を的確に表現する歌い手が、共にアーティストとして切磋琢磨して良曲を導くという新しいモードを、まさにブームとして生み出した。これは心理主義の物語が90年代において洗練されたものだが、いずれにしてもつんく♂は、小室哲哉らが先鞭を付けたこの新しいモードに結果として追随したと言うことができる。つまり彼は80年代末から90年代前半的なモードを経て、90年代後半的なモードに乗るという、まさに時代を的確に見て取った動きを見せた。つんく♂の活動の履歴はそのまま80年代後半からの音楽シーンの動きとして見ることができる。その意味において彼は、先行するプロデューサーたちとは違った存在なのだ。

 しかし彼はもちろん常に時流の後追いをしていたわけではない。彼はそのずば抜けた目利きによって、ゼロ年代初頭には自ら新しいモードを開拓する。つまりゼロ年代前半のモードを自ら開始したということができるのだ。言い換えれば彼がプロデューサーとしてやったのは、まず、90年代前半のモードを払拭することだったと言えるだろう。たとえば彼はモーニング娘。の代表曲である「LOVEマシーン」において、歌い手に「恋はダイナマイト」というフレーズを「恋は"ザ"イナマイト」と発音するように指導した。ここでアイドルたちはパフォーマーとしてのテクニックを持っているが、しかし「恋はダイナマイト」という言葉はいささかも彼女たちの心根からの言葉として歌われていないということが暴露されている。そしてそれはもちろん、つんく♂の心情に基づくものでもない。

 このことはテレビを通して視聴者に周知された。従来のような「センス」や「ソウル」のような不確かな基準で価値を計りえないアイドルのような歌い手もまた、パフォーマーとしてのテクニックを持ち、それを磨いているということが知らしめられたのである。これはまさに、つんく♂らしい知的で技巧的なやり方であるし、同時にそれは内面の時代であった90年代から、パフォーマンスの時代としてゼロ年代を開始する試みだった。

     
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