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ジャニーズが独自に進化させたミュージカル その半世紀に及ぶ歴史をたどる

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北濱信哉
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Kis-My-Ft2やA.B.C-Zといった若手も多くのミュージカルに出演している。

 2011年9月に「最も多くのショーをプロデュースした人物」としてギネスブックに掲載されたジャニー喜多川氏。2000年からの10年間で8419公演ものショーをプロデュースしたというから驚きだ。彼らにとってコンサートと並んで重要なショーのひとつであるミュージカル。ここではジャニーズとミュージカル、その密接な関係を振り返ってみたい。

 ミュージカルの起源をたどると、18世紀にフランスで生まれたオペラ・コミックまで遡る。歌以外にも台詞を含むことが特徴だったオペラ・コミックはヨハン・シュトラウス2世によってオペレッタと呼ばれる台詞と踊りのあるオーケストラ付きの歌劇へと発展。19世紀末にヨーロッパで最盛を極めたオペレッタはやがてアメリカへと渡り、ジャズやブルース、ゴスペル、タップなど現地の文化と融合。ニューオーリンズで行われていたショーとなり、ミュージカルが誕生したと言われている。

 このような過程を経て20世紀初頭にアメリカで生まれたミュージカルが日本へと輸入されたのは1960年に入ってから。元々日本には大正期の浅草オペラ、昭和初期の榎本健一らの軽演劇、宝塚のレビューなど「ミュージカル的なもの」がすでに存在していたが、海外の作品を日本人キャストで上演する形態の最初は63年の東宝製作による『マイ・フェア・レディ』(主演=江利チエミ、高島忠夫)だったと言われている。

 同じ頃にアメリカのミュージカルを自分の手で輸入しようと試みたのが、そう、ジャニー喜多川氏である。その経緯に関しては「ジャニーズのダンスはどう進化してきたか その独自性を支えるキーパーソンたち」でも触れたが、1961年に日本で上映された映画『ウエスト・サイド物語』がきっかけだ。ジャニー氏はメンバーの少年たちを連れて毎日のように映画を鑑賞。スクリーンの中で繰り広げられるミュージカルの世界に魅せられていった少年たちは、爪先立ちで指を鳴らし映画のシーンを自然と真似するようになっていった。そして一言「僕らもミュージカルをやってみたい!」――この瞬間、ジャニーズが誕生したと言われている。当時のジャニー氏は「本心を言えば自分自身がミュージカルをやりたかったが、それが実現しないまま現在に至ったことへの悔恨がずっと尾を引いていた」ため「四人の少年たちに自分の見果てぬ夢を託した」のだという(泉ヒロシ『ジャニーズ・ファミリー −裸になった少年たち−』より)。

     
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