>  >  > 追悼・島倉千代子、その歌声の変遷を辿る

島倉千代子は歌い手としても波瀾万丈だった “天才少女”時代からの歌声の変化を辿る

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島倉千代子『島倉千代子全曲集2013』(日本コロムビア)

 島倉千代子が肝臓がんのため75歳で亡くなった。突然の訃報を受けて、メディアでは度重なる闘病や借金苦など波瀾万丈の実生活が改めて報じられているが、歌い手としても平坦ではない道を歩んだ人生であった。

 16歳でデビューした島倉千代子は「この世の花」「東京だョおっ母さん」などの大ヒットで、すぐさま人気歌手の仲間入りを果たす。高音を活かし、細かいビブラートを多用したマイナー調の歌唱は“泣き節”と呼ばれ、その清楚なルックスとも相まって絶大な人気を博した。しかしその後、20歳前後で一時的に声が出なくなったのを皮切りに、喉の不調にたびたび悩まされるようになる。伸びやかな高音は次第に、やや不安定さを感じさせる歌声へと変化した。とりわけ中年期以降は、か細い歌声がトレードマークともなり、首をかしげて熱唱する姿には、不安定な歌声を全身で支えようとするような凄味さえ漂っていた。

 借金問題などで芸能活動が低迷した後の1988年、「人生いろいろ」のヒットで再ブレイクを果たしたが、その際の歌唱は往時のファンを少なからず驚かせたようだ。ポップス調のサウンドに乗せて、豊かとは言えない声量でビブラートを重ねる様子は、一部からヘタウマ歌手との評も出たほど(モノマネの格好の題材となった)。もっとも、その歌声が彼女の経験してきた苦労を連想させ、多くの聴衆の胸を打った面はあったであろう。

 島倉千代子と同様に、デビュー時の歌声が次第に変化した例としては、松田聖子を挙げることができる。彼女もまたデビュー数年で、天真爛漫で伸びやかな歌い方から、ささやくような歌唱法へと移行していった。ただし、松田聖子が新たに身につけた歌唱法を磨いて新境地を開いたのに対し、島倉千代子の場合はそうした明確な路線変更はなかったように思われる。天才少女歌手の面影を引きずりながら、その“後退戦”を生涯かけて体現した歌手人生だったのではないだろうか。

     
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