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さやわかの「プロデューサー列伝」 第6回:ジャニー喜多川

ジャニー喜多川が音楽ビジネスに与えた影響は? 突発的アイデアがやがて業界の「定番」に

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 ジャニー喜多川にまつわるエピソードは枚挙に暇がない。しかしそのすべては、彼が擁する男性アイドルのプロデュース手腕、彼らに対する細やかな配慮、ゴシップに類するものまで、結局のところ畏敬すべき伝説としてのジャニー喜多川を強調するものだと言える。だいたいロサンゼルスに生まれ、父は僧侶にしてプロ野球チームのマネージャー、兄はNASAの科学者でアポロ計画にも参加していたというだけで想像を絶する。つまりジャニー喜多川という人物は現代に生きる伝説であり、昭和の香りすら感じさせる芸能界の怪人物である。

 しかしだからこそ、ジャニーズというのは特殊な領域になっている。ジャニー喜多川の体制は盤石であり、過去に何度も暴露本が出されたり芸能界の暗部であるかのように語られもするが、それによってジャニーズという男性アイドルの帝国が大きく揺るがされることはない。またジャニーズのグループ戦略について、あるいはタレントの一人一人について、また楽曲について、衣装について、はてはジャニー喜多川が下したとされるビジネス的な決断についてどれだけ分析的に語ったにしても、どうもその奥底に触れたという気がしない。

 特に奇妙なのは、ジャニーズは音楽シーンにおいてまさしく特殊な領域になっていて、シーン全体の動向と彼らがどのように絡み合っているのかが、どうも見えにくいということだ。たとえば僕は過日『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)という本を書いた時に、AKB48が行っていると言われバッシングの対象にすらなっている同一商品の複数アイテム展開による商法の遍歴を調べたのだが、実は同様のビジネスは80年代にジャニーズで少年隊『仮面舞踏会』や男闘呼組『DAYBREAK』などグループのファーストシングルで試されていて、いずれもチャート1位になっている。また1997年にリリースされたKinki Kidsのファーストシングル『硝子の少年』は1曲入り500円というワンコインCDで、これも当時としては画期的なものだった。しかし、ではそれを日本のポピュラー音楽史の流れに位置づけようとすると、どうもうまくいかない。ジャニーズはジャニーズで好き勝手にこうした商品を作っていて、うまく売り抜けている。だが音楽シーン側がそれにこぞって追随したという形跡はと言うと、なかなか見つからないのである。

 したがってジャニーズを知れば知るほど「今の女性アイドルに見られるようなビジネスモデルはジャニーズがとっくにやっている」と言いたくなるのだが、しかしそのほとんどは突発的なもので、ジャニーズがシーンを先導しているとまでは言わせてもらえないのである。たとえば先ほどの少年隊や男闘呼組の例は80年代のもので、その後ジャニーズが絶えずこうした商品を出し続けていたわけではない。だから今のAKBなどのビジネスモデルとの影響関係があるとは言い難いのだ。また90年代前半に女性アイドルは大きく売り上げを落として「アイドル冬の時代」を迎えていたが、ジャニーズの動きはそれとはっきり連動しているとは言えない。1992年にはSMAPがバラエティ路線に進出して、1994年には『Hey Hey おおきに毎度あり』でチャート1位を記録している。付け加えるならば、これは女性アイドルにおける「バラエティアイドル」ブームとも重なっていないのだ。

     
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