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さやわかの「プロデューサー列伝」 第4回:中田ヤスタカ

中田ヤスタカはなぜ音楽的ルーツを語ろうとしないのか

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 中田ヤスタカがいま最も忙しい音楽プロデューサーの一人であるのは疑いのないところだ。だがおそらく彼の音楽性について語ろうとすると、ほとんどの場合は彼のユニットであるcapsuleが初期に渋谷系フォロワーと呼ばれたことや、テクノ/エレクトロニカ/エレポップを主体とする音楽性であることを指摘しつつ、「そうしたものが求められている」と曖昧に結論づけざるを得なくなってしまう。ならばもっと中田ヤスタカのフォロワーと呼べるような音楽が音楽シーンにあふれかえって、彼に似た音楽性の一派がシーンの中で層として現れてもよさそうなものだが、実際はそうなっていない。不思議なことに彼に似た存在はメジャーシーンへ台頭していない。なのに彼だけが注目されている。

 しかも中田ヤスタカは、自身の音楽的なルーツについてもほとんど語ろうとしない。映画音楽を聴いていたことがあるというインタビューもあるが、それでも彼はそうした音楽体験からインスパイアされて音楽を作っているとは言おうとしない。先ほど挙げた渋谷系フォロワーという話だって、中田ヤスタカ自身はそう呼ばれることを歓迎していなかった。一般的に日本の音楽メディアでは、リスナーとしての原体験から初期衝動に至り、クリエイターへと成長していくというエピソードが好まれるが、中田ヤスタカはそうした物語に乗せられることを拒否していると言ってもいい。だから余計に、音楽を語る従来的なやり方で彼を説明づけることは難しくなっている。言い換えれば、いまのリスナーに中田ヤスタカが求められているのは間違いないが、しかし彼の何が求められているのかは説明しにくいのだ。

 しかし、見方を変えれば彼のそうした態度自体が、いまに似つかわしいもののように思われる。日本の音楽シーンでリスナー気質がことさらに重視されたのはそのピークとしてDJブームや渋谷系ブームが存在した90年代前半までで、そこまではリスナーもミュージシャンも過去作品を熱心に聴き込み、影響関係を重視して音楽を作ったり語ったりしていた。だが90年代後半、ナンバーガールやスーパーカー、くるり、中村一義などいわゆる97年組がデビューした後くらいから、楽器やターンテーブル、どんどん安価になっていく宅録機材などと無邪気に戯れるようにして思い思いに音楽を作るミュージシャンが増えていった。彼らが先行する音楽をリスペクトすることは少なくないが、しかし必ずしも自らの音楽性と一致するわけでもなく、青春時代に流行っていたからというわけでもなく、系統立てて聴いているとも限らない。

 中田ヤスタカは1980年生まれで、21歳のときにcapsuleでメジャーデビューした。その彼が上記のような時代の流れを反映したアティテュードを備えていると考えるのは不自然なことではないだろう。むしろその傾向は強まっている。だから彼は音楽的なルーツについて語りたがらないし、その代わり使用機材については好んで語る。彼のプロデュースは実のところ被プロデュース側へのヒアリングを重視するし、楽曲へのリクエストにも的確に応じている。その柔軟さはいまの世代の音楽的な縛られなさに支えられている部分が大きいように思われる。従来の流れにあるものとして捉えようとすると、中田ヤスタカは単に謎めいた人物ということになる。しかし過去との切断を経た新しい世代のことを考えたとき、彼はその精神をわかりやすく体現し、先陣を切るような存在として見ることができる。

■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』がある。Twitter

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