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さやわかの「プロデューサー列伝」 第3回:小室哲哉

「泥臭いアイドルの時代」に乗り遅れた小室哲哉は、「泥臭い主役」として復活を遂げた

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小室哲哉
90年代
さやわか
アイドル
アサヤン
プロデューサー
中山美穂
篠原涼子
観月ありさ
音楽番組
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 「音楽プロデューサー・小室哲哉」と言われて多くの人が思い出すのは、自身の所属するバンドTMNが1994年に活動終了して以降、篠原涼子『恋しさと せつなさと 心強さと』やH Jungle with t『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント』などのヒットシングルを量産していた姿だろう。時代はちょうどダンスミュージックを求めていて、彼は自身が選び出したシンガーに適度な「洋楽っぽい」味付けを行いながらオシャレな「アーティスト」として売り出し、そのやり方は見事に成功した。

 ちなみにプロデュース業に傾倒する直前の数年間、彼はソロ活動も盛んに行っている。おそらくこの時期はTMNの終了を見越しながら、ソロミュージシャンに転じるか、それともプロデュース業に踏み出すかを占っていたはずだ。結果、彼はソロ活動よりもプロデューサーとしての道を選び、それが成功したということになる。

 ただしよく見ると、彼がプロデュース対象に選んだ人物は、ほとんどが従来からアイドルやモデル、シンガー、ダンサーなどを志していた人物ばかりである。全く音楽経験のない者もいたが、それでも何らかの形でタレントとして活動していた者がほとんどだったのである。小室は80年代から松田聖子小泉今日子、中山美穂、観月ありさなど女性アイドルの楽曲を多々手がけており、90年代のプロデュース仕事はその延長線上のものだと言える。違うのは、各タレントをトータルで「アーティスト」として見せるような味付けをしたところだ。90年代に入って「女性アイドル」というスタイルは下火になっていたから、彼は単なる楽曲提供だけでなく、コンセプトまで含めて歌い手を送り出す必要があった。それがまさに彼の「プロデュース」術だったのだ。

 しかし、その栄光は意外と長くは続いていない。小室プロデュースと言えばテレビ番組『アサヤン』の企画から次々と新人シンガーを送り出していた姿を覚えている人もいるだろう。この番組は「××万枚CDを売らないと解散」のように、ミュージシャンが課題に挑戦するリアリティショーをCDの売り上げに結びつけるビジネスモデルを確立したもので、その手法は今の音楽業界にも影響が残り続けている。たとえば昨今では大きな話題になるAKB48の「シングル選抜総選挙」だって、こうしたリアリティショーの延長線上にあるものと言っていい。

 ところが、小室哲哉がこの番組でやったプロデュースは、実はそのリアリティショーからは少し外れたものだった。というかむしろ、この番組で小室はそこまで大ヒットを飛ばしていない。最も成功したと言えるのは鈴木あみだが、他はdos、天方直実など、存在感は示したものの、後世まで名が轟くというほどのヒットには至らなかった。

 小室は結局、なかなか目の出ないタレントを才能に溢れた「アーティスト」という形で演出し、生まれ変わらせるのがうまい人物だった。しかしリアリティショーとCD販売の仕組みが結託した時代がやってくると、いきなり才能に溢れた人物よりも、ほとんど素人に近いような冴えない者たちが、ひたむきな努力によって少しずつ栄光へと向かっていくという泥臭いストーリーの方がもてはやされる。そのやり方で『アサヤン』から登場して、やがて大ヒットを飛ばすことになるのは、言うまでもなくモーニング娘。だろう。小室プロデュースの手法はそれとは対極にあるものだった。だから彼の時代はそこでいったん終わる。

 こうして没落した小室は、2008年には借金返済のために5億円をだまし取ったとして詐欺罪で逮捕されるまでに至る。しかし穿った見方をすると、結果的に彼はここで自分自身を「泥臭いストーリー」の主役に据えることに成功した。その後の彼は少しずつ作曲やDJなどの音楽活動に戻ってきているが、今その着実な「復活」ぶりを支えるファンは少なくない。「アーティスト」を量産した90年代から遠く離れて、小室はいま自分を主役としたリアリティショーの世界を、いきいきと生きているのだ。

■さやわか
ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』がある。Twitter

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